
平日の学校校庭は、ほとんど「開店休業」状態である。月曜から金曜まで、たまに使われてもほんのひとときだ。代わりに週末はにぎわう。ただし、本来の主役である10代の子どもたちの姿はなく、大人ばかりが目立つ。
最近の校庭は、10分の休み時間はもちろん、50分の昼休みや放課後でもひっそりしている。授業以外の時間に校庭を使うことを、学校が全面的に禁じているからだ。釜山(プサン)では小学校の3校に1校、ソウルでは6校に1校がこうした状況にあるという。
思い切り走り回りたい子どもたちに、選択肢はほとんどない。結局、親に頼み込み、学習塾のビルの中にある小さな運動スペースへ向かう。サッカークラブやバスケットボール教室、野球教室などがそうした場所だ。需要を見込んだ業界は、国語、英語、数学の塾が立ち並ぶ地域に早くから入り込んでいた。
地域差はあるだろうが、月謝は週1回50分で月10万ウォン(約1万1000円)台という。空気の抜けたサッカーボール一つあれば好きなだけ走り回れた世代には、なかなか理解しがたい話である。教室にあった子ども向け新聞を丸めて野球ボールやバット代わりにしていた世代なら、なおさらだろう。
「無料の校庭」が閉ざされた背景には、保護者の不満がある。改革新党のチョン・ハラム議員室の調査によると、「うちの子がけがをしたら誰が責任を取るのか」「うちの子はサッカーができず疎外される」「6年生しか使えないのではないか」といった苦情が主だった。
それだけではない。「うるさい」という学校の外の住民の声も、学校を追い詰めた。
保護者や住民からの苦情にさらされた学校は、結局「校庭開放禁止」という強硬策に踏み切った。繰り返される苦情を未然に防ぎ、問題が起きた際に担当教員が紛争対応の負担を背負わなくて済むようにするためである。最近、校外学習や修学旅行が消えつつあるのも、こうした過剰な苦情の余波だ。
校庭でのサッカーや野球、バスケットボールは、単なる球遊びではない。転び、ぶつかりながら立ち上がる粘り強さを身につけ、ボールを受け渡ししながら協力や思いやりも学ぶ。思い出も積み重なる。基礎体力の向上は言うまでもない。
民間のスポーツクラブに通わずに済むため、教育費の抑制にもつながる。スマートフォンのゲームに向かう時間も減る。
もちろん、保護者や近隣住民の訴えにも一理はある。自分の子どもの体や心を傷つけたくない、自宅で騒音に悩まされたくないと考えるのは当然の権利だからである。
だが、その主張が、子どもたちから痛みや疎外感を自分で乗り越えながら育つ機会を奪ってはいないだろうか。こうした例が学校の教育活動を萎縮させ、ひいては公教育そのものを弱らせてはいないだろうか。
この問題は、少し前の国会の政府質疑でも取り上げられた。質問する国会議員も、答える首相も、そろって残念さをにじませていた。
今こそ政策が必要であり、社会的合意も求められる時である。教員が苦情に伴う紛争に巻き込まれないよう教育当局が責任を負う仕組みを整え、子どもたちには校庭が必要だという認識を学校全体で共有しなければならない。
校庭とは、本来、体操や運動競技、遊びができるよう設備を備えた学校内の広場を指す。言い換えれば、子どもたちが学校で思い切り駆け回るための場所である。校庭がその役割を失い、ただの空き地に成り下がらないことを願うばかりだ。【news1 キム・ジェヒョン社会政策部次長】
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