――「私の人生における最高の試合」は1998年の全米女子オープンなのか?
パク・セリ そうですね。延長戦が一番最高の試合でした。池(ウォーターハザード)に入った時、そのショットを選んだことで人生最高の瞬間になったようです。
――先日、『遊ぶお姉さん』で「20代に戻れるならゴルフをもっとうまくできるだろう」と語っていました。20代の時、既に名のある賞を総なめしていたのに、どうして心残りがあるのか。
パク・セリ 選手として賢明ではなかったと思います。ふり返ってみると最も大切だったことができず、選手生活を送っていました。それにスランプに陥っていましたし。
――最も大切だったこととは?
パク・セリ 自己管理、つまり生活バランスです。ゴルフ選手としてフィールドでエネルギーを注ぎながらも、自分自身のために家で過ごす時間をつくるべきでした。運動ではなく、他のことをして充電することが必要だったのに、私の1日は運動で始まり、運動で終わっていました。心の余裕を1度も作ることができませんでした。だから後輩たちには、生活バランスに合わせて選手生活を送ってほしい、といつも話しています。
――20代の「バランスのとれた生活」の重要性をわかっていたら、引退もそんなに早くはしなかったのだろうか?
パク・セリ 断言することはできないけれど、そうではないでしょうか。もちろん欲や心残りが尽きることはありませんが。
――人生とゴルフ、共通点があるとしたら?
パク・セリ コツコツとチャレンジしていく点です。何でも、ある程度トップに到達すると要領よくこなすことも身について、やり方もわかって簡単になるのではないでしょうか。それでもゴルフは知れば知るほど、うまくなればなるほど、いっそう難しいです。1秒も油断できません。答えを見つけるためにチャレンジし続けます。
――生まれ変わってもゴルフ選手になりたいか。
パク・セリ そうですね。だけど、女子ゴルファーはもうやってみたので、次の人生では男子ゴルファーとして挑戦して国威の宣揚を受けたいです。
――1998年の米国女子オープンで「素足の闘魂」で国民に希望と勇気を与えました。新型コロナウイルスで大変な国民に向けて慰労のお言葉を。
パク・セリ これもまた過ぎ去ることだと信じています。失ったものもあれば得たものもあるように、辛い日々を過ごした後には良い日が来ます。2022年の新年は、国民の皆さんに笑顔があふれることを願っています。
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パク・セリ
1977年生まれ。13歳からゴルフを始め、プロ転向後の1996~97年、韓国ツアー6勝、98年には米ツアーに挑戦し、全米女子オープンで20歳9カ月の史上最年少で優勝した。2016年3月に引退を発表。韓国のゴルフブームの火付け役ともいえる存在で、イ・ボミ、キム・ハヌルらパク・セリに影響されてゴルフを始めた選手は多い。