2024 年 11月 25日 (月)
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[KWレポート] 金正恩氏の北朝鮮、生き残りをかける次の10年(1)

「青年大将」から円熟味のある指導者へ

2011年、キム・ジョンイル氏の後継者として現地指導に同行するキム・ジョンウン氏(資料写真)©news1

北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)総書記は2011年12月、父キム・ジョンイル(金正日)氏の死去を受け、27歳の若さで最高指導者の地位につきました。キム・ジョンウン体制の10年の歩みと今後の課題を考察してみました。(シリーズ1/計4回)

◇「不安視」と粛清

キム・ジョンウン氏の存在に焦点が当てられるようになったのは2009年。キム・ジョンイル氏が長男・キム・ジョンナム(金正男)氏=死亡=ではなく、3男のキム・ジョンウン氏を後継者に決定した時だ。

キム・ジョンウン氏は2010年、朝鮮人民軍大将の称号を受け、朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長に就任し、後継者であることが公式化された。そして、1年後の2011年12月17日、キム・ジョンイル氏の死去に伴い、後継者としての短い準備期間が終わった。その約2週間後、朝鮮人民軍最高司令官に就任したことで、政権運営が本格的に始まった。

20代後半という若さに加え、後継者となるまでの準備期間が短かったため、政権発足初期のキム・ジョンウン氏を世界は「不安視」した。父のキム・ジョンイル氏は20年に及ぶ後継者時代を経て最高指導者になり、高い統治能力を示していた。そんな父親と比較されることで、体制の安定性を疑問視する見方が持ち上がっていたのだ。

キム・ジョンウン氏が体制安定のために選択した方法は、粛清とも表現される大々的な人的刷新だった。特に、党や政府、軍の人事を随時、大幅に変更し、先代の痕跡を消しながら自身の権力基盤を固めた。

これが最も目立ったのは2013年。自身の叔父で、キム・ジョンイル氏の高い信任を受けたチャン・ソンテク(張成沢)氏を、不正腐敗を理由に処刑した。多くの専門家が指摘する通り、当時の政治体制は不安定だった。統治能力の低いキム・ジョンウン氏としては、叔父の処刑は「避けられない選択だった」という見方も一部にはある。

また、2017年には、異母兄であり、「後継者」として名前が取りざたされたことのあるキム・ジョンナム氏が死亡した。キム・ジョンウン政権になって帰国できず、外国暮らしが続いていたキム・ジョンナム氏がマレーシア・クアラルンプールの空港で“暗殺”されたわけだが、北朝鮮側は疑惑をすべて否定している。

◇祖父を意識して……

キム・ジョンウン氏は最高指導者になった初期段階から、祖父・キム・イルソン(金日成)主席のように党中心に統治体制を整えた。軍優先の「先軍政治」を敷いた父親とは異なり、すべてをシステム、特に党の会議での決定を経て政策を推進した。容姿までも祖父に似せていた経緯もある。

2016年5月に36年ぶりとなる党大会を開いたのは、このようなキム・ジョンウン氏の政権運営スタイルをよく示している。キム・ジョンイル時代には制限的で、形式的なものに過ぎなかった党総会や政治局会議が頻繁に開催されるようになった。

父親は「一般社会から距離を置く指導者」だった。キム・ジョンウン氏はそれとは異なり、公式的な席上によく姿を現わし、大衆に向けた演説も手掛けた。その結果、祖父時代のような党中心の統治が固まり、北朝鮮で徐々に「先軍政治」の痕跡が消えていった。

党大会では、党第1書記から、より高い地位の「党委員長」に就任した。党中心の統治体系も完全に確立した。

また2016年には国務委員会を新設し、委員長になった。キム・ジョンイル時代の統治機構だった国防委員会は廃止され、外部から「正常国家化」と呼ばれたりもした。その後、キム・ジョンウン氏は対外活動の際、「国務委員長」の肩書きを前面に出している。

「非常体制」のころ、北朝鮮の国家首班は憲法上、「最高人民会議常任委員長」とされていた。だが、2019年に憲法が改正され、国務委員長が「国家首班」となる。

今年1月に開かれた党大会では、党大会開催を「5年に1度」とし、党中心の国政運営をさらに強固なものにする契機となった。同時に党の委員会体制を再び書記体制に戻し、キム・ジョンウン氏はキム・ジョンイル氏が使った肩書き「総書記」を復活させ、自身がその座に就いた。

最近では「首領」という呼称も北朝鮮メディアに頻繁に登場し、キム・ジョンウン氏にもたびたび「偉大なる」という修飾語がつけられるようになった。「偉大なる首領」という言葉は、主に先代指導者にのみ使用されてきたため、この用語の使用自体が、キム・ジョンウン氏の政治的地位を引き続き強固なものにする作業が進められているということの証左であるとの分析もある。韓国当局は、北朝鮮内部で「金正恩主義」という言葉も使われ始めたとも指摘している。

◇理想郷

キム・ジョンウン氏は、さまざまな建設事業を通じて、北朝鮮が主張する「人民の理想郷」を住民に示そうとした。

政権初期には馬息嶺(マシンリョン)スキー場や元山(ウォンサン)観光地区、平壌(ピョンヤン)国際空港再建などにより、建設重視の路線を歩み始めた。最近では「革命の聖地」とされる白頭山(ペクトゥサン)入り口にある両江道(リャンガンド)三池淵(サムジヨン)での建設工事を終えたほか、平壌や地方の主要都市をすべて再建する作業を進めている。

2017年の「核武力完成」宣言と2018年の史上初の米朝首脳会談は、先代がなしえなかったことであり、キム・ジョンウン氏の成果だと言える。非核化交渉による経済問題の解決という目標を達成できなかったとはいえ、キム・ジョンウン氏は外交舞台で意味のある痕跡を残した。2018年に3度も開かれた南北首脳会談も、キム・ジョンウン氏特有の外交姿勢が鮮明になった。

一方で、国連制裁やこれによる経済難の克服は、最高指導者として必ずやり遂げなければならない課題となった。そのうえ、新型コロナウイルス感染拡大という予期せぬ事態も重なり、計画に大きな影を落としている。これもキム・ジョンウン氏が解決しなければならない問題だ。

(つづく)

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