
北朝鮮からの脱出住民(脱北者)で、韓国で成功した事業家がいると聞けば、ソウルでの「成功物語」だと思いがちだ。しかし美容に関する事業を手掛ける「NOIR」のソン・ガンウ代表(34)は、成功のためにソウルではなく釜山を選んだ。現在、釜山で美容室6店舗、美容アカデミー、200坪規模の教育場を運営し、社員198人を率いている。2026年5月には、広安大橋が見渡せる場所に新店舗を開いた。
NOIR西面本店には最近、中華圏や欧米圏からの観光客が絶えない。「Kビューティー」を体験しに釜山を訪れる外国人客が、韓国人客より多くなって久しい。韓国人と外国人の比率は4対6ほどだという。
2003年、北朝鮮平安南道を脱出したソン・ガンウ氏は当時9歳だった。近所の大人に「遊びに行こう」と言われてついて行き、中朝国境地帯の新義州まで歩いた後、そのまま国境の川である鴨緑江を泳いで渡った。中国で6カ月を過ごし、ラオスとタイを経て韓国の地を踏んだのは2005年。脱北の旅だけで1年以上かかった。
中国滞在中、ソン・ガンウ氏を助けたのは韓国人牧師の施設だった。そこで韓国のコンテンツが入ったCDやDVDに初めて触れた。最初に見た映画は「ブラザーフッド」だった。
ソウルでは委託家庭で暮らした。見知らぬ家族関係に適応するのは容易ではなかった。オルタナティブスクール「ハヌルクム学校(空の夢学校)」に通いながら、自らネットカフェで進路を検索し、学校に電話をかけて門をたたいた。
進路を考える際の基準は単純だった。親の助けなしにできること、そして体力的に耐えられることだった。職業体験を経て美容を選んだ。明知専門大学ビューティー学科を卒業し、ソウル建大近くの美容室で1年以上働いた。その後、海が好きで、縁もゆかりもない釜山行きを選んだ。
釜山で現在の妻と出会った。妻も美容師だった。2人の間には5歳の息子がいる。
釜山定着後、最初の創業は新型コロナウイルス禍の時期だった。西面・田浦洞に店を開いたが、長くは続かなかった。通帳に残ったお金は100万ウォン(約11万円)だけ。それでも妻のおなかには子どもがいた。
「ここで崩れれば、すべて崩れる」。ソン・ガンウ氏は、なぜ失敗したのかをデータで分析し、同じ過ちを繰り返さないと決めた。2~3年空いていた物件のオーナーを自ら訪ね、「3~4カ月後には必ず保証金を払うので、賃料免除で始めさせてほしい」と頼み込んだ。3年前、西面に開いたその店がNOIR本店だ。
西面本店に外国人客が訪れ始めたきっかけは偶然だった。ある外国人客に無料でヘア施術を提供したところ、その客が中華圏のプラットフォームに口コミを投稿し、観光客の来店が相次ぐようになった。
口コミは急速に広がった。中華圏の観光客が急増し、最近では1店舗に月500人ほど訪れるという。イスラム圏の観光客獲得にも乗り出し、ヒジャブを着用する宗教的特性を考慮して、分離された個室も用意した。西面2店舗、広安里2店舗、多大浦、社稷、開店準備中の南浦洞まで店舗を広げ、蓮山洞の教育場では後輩美容師を育てている。
中国、タイ、ベトナムを狙ったオンライン教育事業も並行し、2027年には現地進出も準備している。Kビューティー技術を東南アジア市場にオンラインで輸出する構想を抱く。
大学での講義も並行するソン・ガンウ氏が学生によく話す言葉がある。
「資本主義だから本当にいい。自分が血と汗を流した分だけ、得られる確率が高くなるから」
「ヘル朝鮮」というインターネットスラングがある。韓国社会を「地獄のように絶望的だ」と自嘲・批判する際に使われる言葉だ。若者がこの「ヘル朝鮮」という言葉を口にすると、ソン・ガンウ氏は「本当のヘル朝鮮を経験してみたいなら、北朝鮮に一度送ろうか」と笑って受け流すという。
「北朝鮮では、貧しい家柄から成功者が生まれれば、間違いなく抹殺される」。ソン・ガンウ氏はこう表現する。自身のような人間が成功を収めることなど不可能な社会で育った――こう考えるソン・ガンウ氏にとって「努力が報われる」という事実そのものが、今なお深い感動をもたらしている。
母親と8歳年下の弟も遅れて韓国に来た。故郷へブローカーを自ら送り込み、連れてきた。北朝鮮のキム・ジョンイル(金正日)総書記の死去直後で、国境通過費用が2倍に跳ね上がった時期だった。母親はいま韓国江原道で農業を営み、弟は神学大学院で牧師課程を学んでいる。
「下り坂が現れたら、下ることも知ってこそ、また推進力を得て、より高く跳べる。事業をしながら、こういうを学びました」
失敗を2度経験し、まだ34歳。これからも多くの下り坂と上り坂が現れるだろうが、彼にはいくらでも「下ることができる」という自信がある。【news1 キム・イェスル記者】
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