2024 年 5月 19日 (日)
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[KWレポート] “韓国破産”25年後の実情 (2) 阿鼻叫喚の様相

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通貨危機当時の1997年12月末時点の韓国の外貨準備高は204億ドル。1997年7月の最高点(336億ドル)比39.4%も減少した。IMF危機が勃発する直前の1997年11月まで900ウォン台で留まっていたウォン・ドル為替レートも同年12月23日に1962.0ウォンまで下落した。

IMF危機3カ月前に労働省に申告のあった全国事業場の未払い賃金額も6480億ウォンに達し、多くの労働者が賃金も受け取れない危険な状況だった。

株価の下落幅も史上最大幅を記録した。IMF危機の翌1998年に発足したキム・デジュン(金大中)政権は、構造調整を推し進めた。公企業108社を民営化させ、公共部門の人材14万人を削減した。韓宝(ハンボ)、起亜(キア)、大宇(テウ)のような大企業が不渡りを出すなど、1日だけで100社あまりの会社が廃業した。

企業と金融機関の大規模構造調整で同年には失業者が92万人増え、失業率も7%まで急騰した。まさに阿鼻叫喚の様相だった。通貨危機の影響で1998年の韓国の成長率は、マイナス5.1%と厳しい経験をした。

◇「金集め」運動

外貨不足を補おうと、全国民が「金集め」運動を続けた。タンスの中にあった結婚指輪や1歳の誕生日の指輪、金のカエル、金メダルなどを取り出した。わずか2カ月で350万人が参加し、何の見返りもなく集まった金は227トンに達した。

このような努力のおかげで、IMFに救済金融を申請してから3年8カ月後の2001年8月23日、IMFから借りた金を全て返済し、危機から脱した。IMFの支援を受けたアジア諸国のうち、IMFを早期に卒業できた国は、韓国だけだった。

200億ドル前後にとどまっていた外貨準備高も経常黒字、外国人投資資金の流入などで着実に増え、2001年9月に1000億ドル、2005年2月には2000億ドルを初めて上回った。マイナスとなった経済成長率も1999年2.5%、2000年3.1%と急激に上昇した。

IMF危機当時1900ウォンを超えたウォン・ドル為替レートも2009年初めまで1400~1500ウォン台の水準を維持したが、同年9月1200ウォン台となり、安定を取り戻した。

(つづく)

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