2024 年 4月 20日 (土)
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[KWレポート] 米国はなぜ日本の半導体をダメにしたのか。そして韓国は?(1)

日本の育成は自国の負担軽減と共産圏への対応

サムスン電子平沢半導体キャンパス(同社提供)

スマートフォンから自動車まで、あらゆる電子機器に内蔵されている半導体は「産業のコメ」と呼ばれます。私たちの生活に欠かせないこの半導体をめぐり、米国と韓国が今、ギクシャクしています。日本も加えた3カ国の思惑をわかりやすく解説します。(シリーズ1/計6回)

第二次世界大戦が終わった直後の1947年12月、米東部ニュージャージー州マレーヒル。米通信大手AT&T傘下のベル研究所で、それは生まれた。のちの数十年にわたり、世の中の変化をけん引することになる「半導体」だ。

米東部で産声を上げた半導体産業は、西部につながって、カリフォルニア州のサンフランシスコ・ベイエリアの南部にシリコンバレーを形成した。

その半導体の「種」が1950年代、敗戦国である日本に渡った。以降、1990年代までが、日本の半導体と電子業界の全盛期となる。その間には、日本の復興の土台となった朝鮮戦争(1950~53)の特需もあった。

第二次大戦の終結以後、米国は日本の戦後復興と再建に力を注いだ。一方で、膨らむ財政負担を減らすため、米国は日本の早期の立ち上がりを望み、始まったばかりの半導体技術の特許提供などを通じて自立を促したことによって、日本の電子産業が芽生えた。

米国は特に、中国やソ連(当時)といった共産勢力の広がりを阻止するため、日清、日露の両戦争に勝利した日本の再建が不可欠だった。こうした要素が、戦後・日本が急成長を遂げる引き金となった。

(つづく)

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