
韓流ブームもK-POPブームも存在していなかった1992年、東京・新大久保は今とは全く異なる街だった。どこか物々しい雰囲気に包まれていた街の片隅で、わずか4卓の店からスタートしたのが「辰家(ヂンガ)」。以来、看板メニューのスンデで多くの日本人をとりこにし、今や新大久保を代表する韓国料理店となった。オーナーのチョン・ピョンジンさんは無添加と手作りにこだわり続け、“スンデの神様”と称される。【KOREA WAVE編集部 生島マキ】
――来日のきっかけを教えてください。
「1988年に来日しました。当時は学生で、日本語を学ぶためでした。韓国では貿易会社に勤めていましたが、仕事を辞めて日本に渡りました。当時、日本は優れた技術を持つ国でしたので、実際にこの目で見てみたいという思いもありました」
――その後、日本で生活を続ける中で、飲食業の道へ進むことになった理由は何だったのでしょうか。
「生きていくためでした。当時は韓国料理店もまだ少なく、少しやってみようという気持ちがありました。私自身、もともと料理が得意だったわけではありません。ただ、オモニ(母)の料理は本当においしかったんです。最初の店は、今の店がある場所で始めました。4卓だけの小さな店でした」
1992年、「コリアスンデ家」の名で開業した。食材は無添加で、安心して食べられるものを厳選。市販の業務用キムチや添加物を含む素材は使わず、店独自の味を追求してきた。当時から看板メニューだったのが、豚の腸に血液や春雨などを詰めた韓国式ソーセージ「スンデ」だった。
加えて、この店のスープは、韓国の味をそのまま持ち込んだものではない。「日本の地で一から生まれ、34年間、お客様の声と愛情に育てられてきた“唯一無二の味”。単に国の味を伝えるだけでなく、日本のお客様と共に歩み、成長してきた34年の歴史がこの一杯に詰まっている」。チョン・ピョンジンさんはこう胸を張る。
――私は「辰家」でスンデを知りました。やみつきになって、毎週通っていた時期もあります。今でも月に1回は食べないと気が済みません。夏限定のコングクスも有名ですね。
「はい、よくいらしてくださっていますね。私のスンデは、オモニの味に近づけるように作ってきました。開業当初は毎週のように肉屋へ通い、自分で食材を仕入れていました。今のように物流が整っていない時代でしたから、欲しい食材が簡単に手に入る環境ではなかったんです。コングクスも、とても手間がかかる料理なので、韓国料理店でも出しているところは少ないと思います。それでもおいしい料理ですから、手間はかかっても、何とか店で出したいという思いがありました。それが苦労だったかと聞かれると、もう忘れてしまいましたね」

――辰家の代名詞となったスンデには、何か秘訣があるのでしょうか。
「決め手は清潔さです。何度も丁寧に洗浄して臭みを取り、清潔な状態を保つことを大切にしています。スンデは韓国では一般的な料理ですが、日本ではなかなか受け入れられにくい面がありました。特に当時の日本人にとっては、まだ未知の料理だったと思います」
――現在では、新大久保を訪れる多くの人が、スンデを目当てに店を訪れます。
「『辰家で初めてスンデを食べました』とおっしゃる方は多いですね。当時は韓国旅行も今ほど身近ではありませんでしたし、『スンデ』という名前さえ知らない人がほとんどでしたから」
――転機になった出来事はありましたか。
「何か一つの出来事があったというより、少しずつ変わっていったという感じです。ただ、大きかったのは2002年のワールドカップ(サッカーの2002年W杯日韓大会)ですね。当時は、店の3分の1ほどを事務所兼休憩スペースとして使っていました。そこでスタッフと一緒にワールドカップを見て、みんなで盛り上がっていました。あの頃は楽しかったですね。その後、その事務所だった場所にもお客さんを入れられるように店を広げました。改装は4回ほど重ね、少しずつ広げていって、今の内装になりました」
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