2025 年 3月 15日 (土)
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「殺人」で終わった介護 [KWレポート] 死角地帯の韓国ヤングケアラー (1)

(c)MONEYTODAY

韓国で2021年5月、脳出血で倒れた父親を一人で世話し続けた青年は、生活苦にあえいだ末、父親を放置して死亡させた。「大邱(テグ)青年介護人事件」は「ヤングケアラー」問題を世に知らしめた。2年が経った今、彼らの人生はどのように変わったのだろうか。残る課題と必要な支援について考えた。

◇「ちょっと待つ」が「6年」に

26歳のキム・ヒョンジュさんは、ソウル市九老(クロ)区で父親、病気の母親と一緒に住んでいる。キムさんはこれまで就職準備のための勉強に追われ、最近、ようやく職場生活を始めたところだ。

日ごろから娯楽を楽しむ同年代の友人たちとは時間の流れが少し違う。

6年前に脳出血と診断され、動くのが難しくなった母親の世話を中心に1日が回っていく。

2017年、母親が倒れた時、キムさんは浪人生だった。「音楽の道に進みたいと考えていたが、音楽分野にはお金がかかるため、しばらく入試を先送りすることに決めた」

当時の「ちょっと待つ」が、「6年」もかかるとは思わなかった。

「正直、ここまで長く世話をすることになるとは想像できなかった。しかし、母親の状態は簡単に良くならず、以前のように回復することもできなくなった。専攻を、作業療法に変更するしかなかった」

◇「いつまで世話をしなければ……」

父親が一緒に暮らしている。だが、月100万ウォン(1ウォン=約0.1円)以上かかる病院費と薬代などを負担するため、父親は食堂の仕事に集中している。

その結果、母親の世話はもっぱらキムさんの役割になった。

母親の介護で、自身も腰や手首を痛めて入院することになった。ただでさえ経済状況は厳しいのに、自身の治療費300万ウォンが加わった。

昨年、大学を卒業した後、しばらくは希望を抱いていた。就職して社会生活を始めれば、母親の「看病人」としての生活から抜け出すことができると考えたからだ。

ところが、やがて母親ががんの診断を受け、結局、キムさんは就職の先送りを選択せざるを得なかった。

「経済的にも大変だが、時間がなくなり、自分の将来について考えることさえできなかった。これが最も絶望的なことだった。いつまで母親の世話をしなければならないのか……。終わりが見えないこともつらかった」

音楽に対する夢がちらつくことがある。だが、現状ではその夢は遠い。

◇「総合的なシステムが必要」

大邱青年介護人事件とは――。2021年、脳出血で倒れた父親を1人で介護していた大邱市在住の20代男性が、その介護をあきらめ、死に至らせた。この事件をきっかけに、韓国でキム・ヒョンジュさんのような「ヤングケアラー(家族ケア青年・青少年)」に対する社会的関心は一気に高まった。

韓国政府とソウル市などは今年、実態調査を発表した。だが、キムさんの人生に、大きく変わった点はないという。「ヤングケアラーが置かれた状況はまちまちで、総合的なシステムが必要だ。でも、依然として社会的認識が不足している。支援が遅れれば遅れるほど、ケアによる負担は増える」

梨花女子大学社会福祉学科のチョン・スンドゥ教授は次のように訴える。

「既存の長期療養制度などを活用して、困難を抱えるヤングケアラーを真っ先に支援すべきだ。ヤングケアラーが最も心配するのは、自分が就職準備をしたり社会生活をしたりすれば、家族を介護する人がいなくなるという点だ。療養保護士らが十分にサポートできるような制度を保障する必要がある」

(つづく)

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