2024 年 5月 4日 (土)
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[KWレポート] 数字だけで評価できない「K-POPのゴッドファーザー」のプロデュース (2)

ミュージシャンとして先進的な音楽

S.E.S(写真=SMエンターテイメント提供)©STARNEWS

韓国の芸能プロダクション「SMエンターテインメント」の総括プロデューサー、イ・スマン氏(70)は「K-POPのゴッドファーザー」と呼ばれています。そのイ・スマン氏のSM離脱がK-POP界に波紋を投げかけています。状況を取材しました。(シリーズ2/3)

◇大学院でコンピューター工学を専攻

イ・スマン氏は歌手出身だ。

1971年、ペク・スンジンとフォークデュオ「4月と5月」のアルバムを録音した。しかし、アルバムの録音直後、健康問題でチームから外れた。翌年このアルバムが発売され、イ・スマン氏はまず「声」でデビューしたわけだ。

1972年に出たヤン・ヒウン「美しい歌集」2集でコーラスに加わったりもした。その後、同年にはソウル大農学部のグループサウンド「サンドペブルズ(Sand Pebbles)」の2代目メンバー、1974年にはロックグループ「野良犬たち」のベース奏者として活動した。

1977年の「第1回大学歌謡祭」のMCを務めた後、司会者として活動領域を広げた。

さらに1980年にはハードロックバンド「イ・スマンと365日」を結成し、ファーストアルバムを出して先駆的なハードロックサウンドを披露した。バンドマニアの間で必聴のアルバムだ。

1980年代には、米カリフォルニア州立大ノースリッジ大学院でコンピューター工学を専攻した。帰国して、ホン・ジョンファ、クァク・ヨンジュンとコンピューター音楽、すなわちMIDI音源によるプロジェクトバンド「CPU」を結成した。だが、あまりにも先進的な音楽だったため反応はいま一つだった。

1989年も同様に、先を行くアルバムとして評価される「ニューエイジ」を世に送り出した。

これを最後にイ・スマン氏は歌手としての活動を封印した。

©NEWSIS

◇K-POPの新しい領域

イ・スマン氏は、米音楽専門ケーブルテレビMTVの人気を見てミュージックビデオ時代の到来を予感し、アルバム制作者に変身した。特有の強烈な音楽と華麗なパフォーマンスが目立つ「SMP」(SM Music Performance)というジャンルの誕生だった。

今はK-POP界の自然な流れになった欧州との文化交流も、イ・スマン氏が先鞭をつけた。S.E.Sが1998年に発売した「ドリームズ・カム・トゥルー(Dreams Come True)」がその例で、イ・スマン氏はフィンランドの作曲家であるリスト(Risto)を自ら訪ねて依頼し、先進的なサウンドを韓国に取り入れることができた。

単にアルバム制作だけをしたのではなかった。イ・スマン氏は、ディズニーが多様な世界観を演出するように、早くからSMカルチャーユニバース(SMCU・SM Culture Universe)の世界を描き出してきた。

特にSMはマーブル(Marvel)のように英雄叙事詩の世界観を早くから着実に築き上げてきたのだ。

2000年に3Dで公開された第1世代アイドルグループ「H.O.T.」の映画「平和の時代」がその例だ。

2200年を時代背景に、H.O.Tのメンバーらが「地球連邦サッカー代表チーム」として、銀河系サッカー大会で活躍するという内容だった。

アジアを席巻したグループ「東方神起」のチーム名には「東で神が起き上がる」という意味を込めた。

2012年にデビューしたEXOは瞬間移動、火、光、結氷など各メンバーごとに超能力を与えた。

「ネオ・カルチャー・テクノロジー(Neo Culture Technology)」の頭文字をチーム名に付けたNCTは、新しいカルチャーテクノロジー(CT・文化技術)として誕生し、開放性と拡張性を重要視する。

米ビルボードメインアルバムチャート「ビルボード200」1位を取ったSuperMは、SM所属ボーイズグループメンバーを集めたアベンジャーズ(Avengers)式ユニットだ。

SMCU(写真=SMエンターテイメント提供)

これに、エスパ(Aespa)を基点として、広野(KWANGYA)というSMの世界観をすべて網羅するオン・オフラインプラットフォームまで作る、というK-POPの新しい領域を開拓した。

こうしてイ・スマン氏は、創作の領域での経験を自らのプロデュースに溶け込ませ、他とは異なる歩みを見せてきたのだ。

イ・スマン氏(写真=SMエンターテイメント提供)©NEWSIS

◇文化・技術の結合を基礎

SMの現在の成果は、単に音楽企画と制作だけに基づくものではない。

イ・スマン氏の文化・技術の結合を基礎とした未来戦略、グローバル市場進出によって成し遂げられたものといえる。

NCTやエスパを成功させ、SMは「仕事の90%以上を成功させる」という状況になった。こうした成功率の高さは、イ・スマン氏によるプロデュースを根幹に据えた結果ともいえる。

さらに最近では、大衆音楽産業が活発になると予想されるアラブ首長国連邦(UAE)やサウジアラビアなどの中東からラブコールを受け、文化コンサルティングまで手掛けるというのが、K-POPの一つの顔にもなっている。

こう考えると、イ・スマン氏がSMとK-POPに及ぼした影響は、単に金銭に置き換えられないという結論に至るのだ。

(つづく)

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