国民「説得」に乗り出す時
韓国のユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領が先月17日で就任100日を迎えました。保守系政党「国民の力」入党と党内予備選挙、大統領選挙・就任という「短くて太い」政治経験の中で試行錯誤をしてきました。ユン政権の前途を考えてみました。(シリーズ1/4)
ユン大統領の就任100日は、明暗がはっきりした時期に訪れた。米韓同盟の再建▽税制改革▽脱原発政策の廃棄▽各委員会の縮小▽出勤途中のいわゆる「囲み取材」に代表される意思疎通――などは、肯定的な評価を受けている。
しかし、人事と政策推進プロセスで、最初からボタンを掛け違える愚を犯したのは残念だと指摘されている。
明暗がはっきりしているだけに、残り4年9カ月の任期中、ユン大統領が集中しなければならないことも明らかになった。
根気を持って政策を進めても、世論を十分にまとめ上げなければならないということに帰する。何よりも世論を十分にまとめ、考えの違う人々を説得する過程が重要だという分析だ。
ユン氏は今年3月9日の大統領選で、48.56%の得票率で「共に民主党」の候補、イ・ジェミョン(李在明)氏を0.73ポイント差で抑えて当選した。1987年に大統領の直接選挙制が導入されて以後、得票率の差が歴代最少だった。また「進歩」と「保守」の間の政権交代が、初めて1期5年で進んだという「記録」も打ち立てた。
だが、これはユン大統領にとって「両刃の剣」といえる。
前者は、それだけの「反対」勢力がいるということを意味する。
そして、後者はそれでも大統領選での公約を「推進しよう」という原動力になる。
ユン大統領は就任と同時に「原動力」を基盤に急速に「非正常化の正常化」に乗り出した。
代表的なのが米韓同盟の再建だ。ユン大統領は就任21日目にして米大統領と首脳会談を開いた。歴代大統領の中で最も早い米韓首脳会談だ。
何より、1993年7月のクリントン大統領(当時)以来、29年ぶりに米大統領が韓国を訪ねて首脳会談を実施しただけでも、ムン・ジェイン(文在寅)大統領の外交政策が全面的に修正されたという印象を与えた。
また、ユン大統領が初の海外歴訪で北大西洋条約機構(NATO)首脳会議に出席したことも、大統領の外交政策方針を明確に示したと評価されている。NATOの招きで韓国大統領として初めて首脳会議に出席したのは、世界秩序が再編される過程で、自由民主主義の価値を共有する国家と共にするというユン大統領の意思を明確に示した。
「非正常の正常化」の一翼に挙げられる税制改革にも躊躇しなかった。企画財政省は6月16日、法人税と相続税、証券取引税、総合不動産税の負担を低くし、企業活動を阻害するさまざまな規制廃止に力点を置く、初めての経済政策方針を提示した。
特に、法人税は国際的な租税競争を考慮し、現在の4段階の課税標準を単純化し、最高税率は現行の25%から22%に引き下げることにした。これはムン政権が初年度に引き上げた最高税率を5年ぶりに戻すもので、民間を中心に経済政策を展開するというユン大統領の哲学を明確に示している。
不足する部分を、不要なものを整理することで最大限補填するという点も肯定的な政策方針だとみられている。
代表的なのが政府委員会の再編だ。政府委員会はパク・クネ(朴槿恵)政権で558あり、ムン政権で631に増えた。ユン大統領就任後、2つが廃止され、現在大統領と首相、省庁傘下の委員会は629だ。このうち約半分を廃止したり縮小、統廃合したりするというのがユン大統領の構想だ。
大統領室の主要関係者は「大統領直属の委員会は年平均33億ウォンを使ったが、2019年から3年間、大統領が直接主宰した委員会はほとんどなかった」と指摘。「相当数の委員会が形式的に存在したり運営されたりし、非効率状態が非常に深刻だったので、果敢に再編することにした」と述べた。
ムン政権の「脱原発」廃棄もユン大統領の政策の中心にある。
ユン大統領は6月22日、原子炉、電気発生器などを生産する「斗山エナビリティ」の本社(慶尚南道昌原)を訪問し「私たちが5年間馬鹿なことをせずに原発生態系をより一層強固に構築していたら、今ごろはおそらく競争相手はいなかっただろう」とムン政権を批判し、原発産業を正常化すると明らかにした。
また、ユン大統領はNATO首脳会議で会った欧州の一部首脳らに、積極的に原発セールスを展開した。大統領室の高官は「ユン大統領が、世界最高水準の韓国の原発技術を相手首脳に説明する姿を見て、原発産業の正常化に対する尹氏の意思がどれほど強いかを感じた」と述べた。
韓国政治史に初めて登場した大統領の出勤途中の「囲み取材」は、ユン大統領が国民との意思疎通を重視している行動だと評価されている。
ユン大統領は就任翌日の5月11日以降、8月11日までに計34回の「囲み取材」を受けた。大統領府を国民に返し、ソウル市南部の瑞草洞の自宅から龍山の大統領室に通勤する初の大統領が、途中で記者団に向き合い、短い質疑応答の時間を持つこと自体が、新鮮さを呼び起こした。
時には不規則な発言で論議になったりもしたが、趣旨を否定してはならないという声が大多数だ。大統領の側近たちが論議になるのを防止するために囲み取材の縮小、廃止を建議したにもかかわらず、ユン大統領の意思があまりにも強く、そのまま「囲み取材」が継続しているという話は有名だ。
一方、ユン大統領の「意思疎通」の考えは、支持率を下落させる決定的な要因としても作用した。毎朝、記者たちに会うこと自体を「意思疎通」と認識した点が「敗着」として挙げられる。他の考えを持った人々を積極的に説得し、理解させようとするには、より大きな努力が必要だということだ。
代表的なのが、小学校入学年齢を満5歳に引き下げる問題だ。今年7月29日、パク・スネ(朴順愛)社会副首相兼教育相(当時)が、教育省業務報告で明らかにしたこの政策は、発表直後、保護者と教育団体を中心に大きな反発を買った。
政府は、入学年齢を引き下げることで、国家ケアサービスを国民に拡大するという趣旨でこれを計画したが、いかなる前提条件も明らかにせず、一方的に推進するというニュアンスで政策を発表した。
混乱が深刻化すると、大統領の休暇期間中に大統領室は「ユン大統領は、放課後保育など諸般の事項の確立を前提に対策を推進し、世論を十分に集約するよう指示した」と、鎮火に乗り出したが手遅れだった。この議論で結局、パク・スネ氏が任命34日後に辞任した。
新政権発足後、閣僚が辞任した初めての事だった。
行政安全省内の警察局新設も同様だ。ユン大統領の公約事項である民情首席室をなくしたため、自然に大統領室内でも警察業務・管理が消えた。半面、検察と警察の捜査権調整で警察の力は以前よりさらに大きくなることが明らかだった。肥大化する権力を牽制できる装置を用意しなければならないというのがユン大統領の考えであり、これが「警察局」設置の大きな根拠だった。
しかし、当事者である警察官に対する十分な意見集約プロセスはもちろん、このような設置根拠をマスコミや国民に積極的に知らせる姿は見られなかった。全国の警察署長らが集まって対策を議論すると、ユン大統領が「重大な国家基本びんらん」だとして強く叱責したことだけが知られている。
論議の末に警察局は設置されたが、あたかも「無条件について来い」とか「先に発表した後に事態を収拾」するようなイメージがついたのは残念だという反応もある。
人事で検察出身者を重用したことも代表的な「不通(意思疎通できない状況を指す韓国の言葉)」事例として挙げられる。一般的に検事出身者が任命される公職綱紀秘書官と法律秘書官のほかに、ユン大統領は大統領室人事企画官と人事秘書官、総務秘書官、付属室長を検察出身者にした。
これだけでなく国家情報院企画調整室長と首相秘書室長、さらに新政権初の金融監督院長に側近であるイ・ボクヒョン前部長検事を任命し、進歩・保守のメディアを問わず「偏重人事」だという批判を受けた。イ院長は検察出身者で最初の金融監督院長でもある。
ユン大統領はイ院長を任命した翌日、囲み取材で「検察偏重人事」ではないかという質問に「過去には民弁(進歩系弁護士団体・民主社会のための弁護士会)出身者が(ポストを)埋め尽くしたではないか」と答えた。ムン政権では民弁出身者が大挙抜擢されたが、なぜ韓国政府は検察出身者を起用してはならないのかというもどかしさが背景にあるとみられている。
意思疎通とともに弱点とされるのは、妻キム・ゴニ(金建希)氏を巡る問題だ。明知大のシン・ユル教授は「本来なら問題になるようなことではないのに、相手方の問題にしようという意図に引っかかる。ユン大統領としては悔しいだろうが、ただこのまま放っておくわけにもいかず、管理に乗り出さなければならない。少なくとも第2付属室を設置し、キム氏と関連する日程などを担当させなければならない」と述べた。
「ザ・モア(The More)」のユン・テゴン政治分析室長は次のようにみる。
「ユン大統領が政界に入ってからを振り返ってみると、常に相手がいる『相対評価』に強かった。しかし、今は相手がいない。大統領という立場では『絶対評価』しかないので、大統領シップを発揮しなければならない時だ。与党内もある程度、整理されたので、謙遜・誠意ある意思疎通を図る姿勢で、国民に安定感を見せなければならない」
(つづく)
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