「小細工」盛ん、兵役特例の歴史
世界的な人気を誇るK-POPグループBTSが軍への入隊を選択し、兵役特例の論議は一段落した。だが、これを契機に49年間、雑音が絶えなかった特例制度自体を見直すべきだという声も出ている。
関連制度が初めて設けられたのは、パク・チョンヒ(朴正熙)政権時代の1973年だ。当時、「兵役義務の特例規制に関する法律(兵役特例法)」が制定され、芸術・体育分野が新設された。
これは、国威宣揚と文化の発展に寄与した芸術家やスポーツ選手の兵役の代わりに「芸術・体育要員」として服務させる内容を含んでいる。世界に韓国の地位を知らしめる選手と芸術家を育成するために作られた制度だった。
制度新設後、1976年のカナダ・モントリオール五輪レスリングで金メダルを獲得したヤン・ジョンモ選手が、初めて兵役特例を適用された。以後、特例を受ける人がますます増え、多様な論議を引き起こした。
◇五輪で4分走って除隊
2014年、仁川(インチョン)アジア大会野球代表チームをめぐる議論が代表例だ。
当時、代表チームは選抜過程から軍未畢者(クンミピルジャ)=兵役義務を果たしていない男性=を中心にしたという批判を受けたうえ、負傷でまともに活躍できなかったナ・ジワン選手までが兵役特例対象に含まれ、非難の世論が起きた。
2012年のロンドン五輪サッカー競技では、韓国と日本の3位決定戦の終了4分前にキム・ギヒ選手が投入され、特例を受けた。「4分戦役」という流行語を残した事件だ。オンラインコミュニティには、さまざまなパロディが殺到した。
2010年のアジア大会に参加したチュ・シンス選手は、特例を受けて以来、国家代表チームの招集に応じず、批判の対象となった。
兵役特例基準をめぐってもさまざまな議論はあった。
五輪3位以上、アジア大会1位にだけ与えられていた特例を、2002年のサッカー・ワールドカップではベスト16に進出したメンバーに拡大した。その結果、ベスト4入りした韓国チームの選手は、この恩恵にあずかった。
その後、2006年にはワールドベースボールクラシック(WBC)ベスト4のメンバーも特例対象に追加された。韓国チームが宗主国である米国を抑えてベスト4に進み、世論が盛り上がったことを反映した。
しかし、長くは続かなかった。
野球やサッカーなど特定種目にのみ特例を与えているとして公平性をめぐる議論が起き、結局、2007年12月28日、該当項目は削除された。現行法ではワールドカップで優勝しても、軍と関連したいかなる特例も受けることができない。
◇産業技能要員でも露見
兵役特例制度の盲点を突いた“小細工”は「産業技能要員」(一定の資格・学力などを満たす者が政府指定の業者で一定期間、製造・生産などに従事すれば「服務」とみなす)分野でも露見した。
国家産業の育成・発展と競争力向上のため、軍服務の代わりに兵務庁長が選定した指定企業に勤務させるようにしたのだが、これが悪用された。社会的高位層や富裕層の子供、芸能人らの兵役逃れの手段として利用されたのだ。
彼らは専攻と関係なく産業機能要員として勤務したり、産業機能要員に編入されても出勤しなかったりした。また、兵役逃れのために書類上だけで編入するなどの事例が摘発されたこともある。
実際、2007年の検察による3カ月に及ぶ兵役特例不正捜査では、政府高官の子供や芸能人、司法研修生らの兵役不正者127人が摘発された。
彼らの親は、法曹界関係者1人と前・現職次官級など政府高官4人、大企業役員4人、企業家10人、大学教授3人――など、社会的指導層が多かった。
兵役特例を悪用した兵役逃れは今も続いている。主要な公職者に対する「身体検査」のプロセスで頻繁に兵役特例疑惑が登場するのも、このためだ。
(つづく)
(c)MONEYTODAY