2026 年 1月 11日 (日)
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[KWレポート] 隣国と「組む」か「離れる」か…日韓経済連携への模索 (7)

ブリュッセルの欧州連合(EU)欧州委員会庁舎に掲げられたEUの旗(c)Reuters/news1

◇敵同士だったからこそ始まった

欧州連合(EU)は「和合」の産物というよりも、「生存」のための現実的な選択の結果だった。二度と戦争を繰り返さないという切実な思いがその根底にあった。出発点には、長らく対立してきたヨーロッパの宿敵、フランスとドイツがいた。

第二次世界大戦直後、ヨーロッパの課題は明確だった。「経済再建」と「戦争の防止」だ。火種となったのは石炭と鉄鋼だった。当時、鉄鋼は軍需産業の中核をなしており、石炭は不可欠なエネルギー源だった。フランスとドイツは、この産業の主導権をめぐって激しく争っていた。

1950年、フランスのシューマン外相が妙案を打ち出した。石炭と鉄鋼の生産を共同で管理しようという構想だった。両国が競っていた核心資源を超国家的機関の下に置こうという発想だ。相互監視を通じて、どちらの国も密かに戦争物資を生産できないようにしたのだ。

この構想は1951年のパリ条約締結によって現実のものとなった。フランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの6カ国が参加し、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が発足した。

協力は広がりを見せた。ECSCはその対象範囲を全産業へと拡大した。1957年のローマ条約によって、欧州経済共同体(EEC)と欧州原子力共同体(EURATOM)が設立された。関税の壁が崩れ、共同市場が開かれた。

1963年、フランスとドイツはエリゼ条約を結び、両国は欧州統合の中核軸としての地位を確立した。この条約には、首脳会談の定例化、外交・安保協議、青少年交流などが盛り込まれていた。単なる和解を超え、欧州統合の堅固な礎となった。

◇EUに学ぶ「日韓が目指すべき」未来像

交流は「移動の自由」へとつながった。1985年のシェンゲン協定により国境検問が撤廃され、人や資本が自由に行き来できるようになった。労働市場と消費市場がひとつに結びつき、企業や市民にとって国境の意味はなくなった。

1990年代に入り、統合のプロセスは頂点を迎えた。マーストリヒト条約により欧州連合(EU)が正式に発足し、単一通貨であるユーロの導入も決定された。

EU統合の価値は、逆説的にブレグジット(英国の離脱)以後により鮮明になった。2020年、英国はEUを離脱したが、その代償は大きかった。単一市場から脱退すると貿易コストが増え、投資は萎縮した。

英国財政責任庁は、ブレグジットによって中長期的にGDP(国内総生産)が約4%縮小し、貿易規模は15%減少すると推定している。経済共同体が単なる政治的枠組みではなく、実質的な「経済的安全網」であることが証明されたわけだ。

専門家は、EU統合の核心を「経済的相互依存性」に見出している。対外経済政策研究院(KIEP)のチョン・ソンチュン上級研究委員は「EU共同体モデルの出発点は、経済的相互依存性を拡大し、協力の持続性を高めることにあった。さまざまな対立や葛藤があっても共同体が維持されてきた力は、経済的な基盤が互いに絡み合っていたからだ」と説明した。

この点は、日韓関係にも示唆を与える。チョン研究委員は「日韓間にも相互依存性を高められる分野がある。石炭や鉄鋼のように産業の基盤となるエネルギーや素材分野で安定的な共同サプライチェーンを構築していけば、経済共同体的な性格を強化し、対立の緩和にも役立つだろう」とみる。

(c)MONEYTODAY

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