「日常を数値化され、評価される」気分
韓国の飲食店につけられるレビューに疑問の声が上がっています。「腐った味がする」「テーブルがベタベタしてる」などの文章とともに、「星1つ(★)」という評価を突きつけられ、戸惑う店主が少なくありません。こうした「★」評価は妥当なものなのか――記者が自ら出向き、確かめてみました。(シリーズ3/4)
◇「どこまでサービスすれば…」
最後に向かったのはDカフェだった。
ここは特定のポータルサイトのレビューページで“星1つ攻撃”を相次いで受けたところだった。
「不親切で、飲み物の味もたいしたことなく、星1つでももったいない」(★)
「カフェ、雰囲気、味のすべてがまあまあ」(★★)
「wwwww」(★)
まず「親切度」から考えてみる。
ここの店主は“自分に力をくれるのではないか”と感じさせるほど、親切だった。
店内は清潔で、インテリアも整っていた。赤いレンガが組み込まれたデザインと、随所に置かれよく育っている植物のおかげで、曇った天気でも安らいだ。
天井から降り注ぐエアコンの風で、じめじめした天気で湿っていた体が軽くなった。米歌手ラウヴ(Lauv)の「雨降るパリ(Paris in the rain)」が流れていた。
アイスアメリカーノを1杯注文し、出てきたものを口にする。飲み始めは清涼感があってすっきりし、後味はほどよく濃くて、口の中にしばらく残った。
記者はアメリカーノは頻繁に飲む。そんな基準からしても、かなりおいしいほうだった。とても「★」とは思えなかった。
Dカフェの店主に「★」」について尋ねてみると、次のような返事だった。
「正直、レビューのようなものをあまり見ません。星なんて、なくなったらいいのに」
ある日、注文が忙しく、あるお客さんに「メニューを決めてからお話ししてください」と言ったことがある。その様子を“店主が客の注文を待たずに背を向けた”と非難され、その結果が「★」だったという。
「どの程度までサービスをすればよいのか……」。店主はこう悩むようになったという。
◇不快な体験、あり得るかもしれない
記者が4つの店を回った目的は、単に「『★』メニューのレビューを非難する」ということではなかった。
その客にとって、本当に、不快な体験というものがあったかもしれないのだ。実際、不親切だったり衛生状態が悪かったり、味の基本すらなっていない店が、確かに存在するからだ。
一方で、同時に考えてみたかったことは、誰かが主観的に「★」をつけた店が、記者本人にとってはそれほど悪いものではないかもしれない、ということだった。1点ではなく5点であるかもしれないと。単純に平均的な「★」の数や、悪いレビューを見ただけで、むやみにその店のことを判断してはならない。
想像してみた――日々の生活が数値化され、評価される気分がどんなものかを。
例えば、記者の書いた記事一つ一つに1点から5点までつけられ、平均評価をリアルタイムで見ることができ、それによって自分の記事が減らされたり、減給されたりしたら……。
そのストレスがどんなものか。ある客が昨年6月、デリバリーアプリで注文した後に「エビフライひとつを返品してほしい」と抗議を続けた。返品をしてもなお「★」とともに悪質なレビューを残し続けた。50代の店主は脳出血で倒れ、息を引き取った。
「★攻撃」「悪質なレビュー」を解決する方法がはっきりしない。
デリバリーアプリはそれなりの防止策を立てているが、それはあまり役に立たない。自営業者が集うあるネット掲示板には「悔しい星1つ」に対する訴えが連日のように溢れている。
「タッカンジョンを食べて食中毒になったと★をもらいました」
「おいしい、というのに、たった星3つだそうです」
「理由も書かずに★」
「レビューイベントに申し込まず、コーラを受け取れなかったので★」
こうした状況もあり、ネット大手ネイバーは、店の星レビューをなくしたものの、評価を掲載するポータルサイトはいくつか存在する。しかも、利用したことのない店に対する評価を記せるほど、粗末な状況になっている。これを本当に信じていいものか。
評価の問題は、自営業者に限らない。本、映画、音楽、オンラインショッピングモールの販売商品などにも、すべて評価がつけられる。
映画業界でオンラインマーケット業をしていたAさんは、こんな心の中を明かしている。
「映画を見もしないで0~1点の評価をつける人がいる。公開初期に『今の評価が9点だから、それを下げるために0~1点をくれてやる』というレビューもある。映画を鑑賞したうえでの酷評なら大目にみる。だが、見ていないのに悪質なレビューだけが残されれば、強い無力感に襲われる」
(つづく)
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