知らない人の評価だけに頼ってよいのか
韓国の飲食店につけられるレビューに疑問の声が上がっています。「腐った味がする」「テーブルがベタベタしてる」などの文章とともに、「星1つ(★)」という評価を突きつけられ、戸惑う店主が少なくありません。こうした「★」評価は妥当なものなのか――記者が自ら出向き、確かめてみました。(シリーズ1/4)
◇「わたし史上、最悪のタルト」
「星1つ」がつけられた「Aカフェ」に入ってみた。この店のレビューには、こう記されているからだ。
「世界一まずいエード。グレープフルーツエード? 正直コンビニ1000ウォンのジュースの方がよっぽどおいしい」(★)
「わたし史上、最悪のタルト」(★)
Aカフェに入ると、従業員2人が愛想よく「いらっしゃいませ」とあいさつする。
店をざっと見渡すと、センスの良いインテリアが置かれていた。店の随所で青々とした植物が目に入り、心が安らいだ。
年配の男性店主があちこち動き回り、エアコンの風がやや寒いのではと感じたのか、天井に手をかざしていた。既に十分涼しく、汗が心地よく乾いていった。
カウンター前に立つ。
几帳面に帽子をかぶった中年の女性店員が私に「ご注文をどうぞ。ゆっくりでいいですよ」と告げた。
私は既に注文を決めていた。
「グレープフルーツエードを一つ、それからエッグタルトを一つください」
「星1つ」をつけられていた、例のメニューだった――。
◇店員「星やレビュー? もちろん見ます」
しばらくして、注文したグレープフルーツエードとエッグタルトが目の前にやってきた。
偏見なく、本当にダメな味ならその通り記録する。そのつもりで、テーブルの上にノートとペンを置いた。
まずは前者。
すっと吸い上げ、大きなグレープフルーツの塊をかみ砕いた。グレープフルーツをすりおろしたようだった。メニューには「100%搾汁ジュース」と書かれたある。
少し甘いが、炭酸の味は悪くない。グレープフルーツの風味が広がり、さわやかな気持ちになった。
のどを通った後、口いっぱいに味が残る。濃さも十分だった。もう一口飲んで味わう。
私の結論は――グレープフルーツエードは「おいしかった」。
次は後者。
まずひと口食べた。丸い外側はサクッとし、真ん中はふわっとしていた。
ほどよい甘さで、あっさりした後味だった。
ポルトガルで食べたものほどのしっとり感はないが、韓国の一般的な場所で食べるタルトの味には近かった。
私には「良い味」に感じられた。
そして、店員に尋ねてみた。
「星やレビュー? もちろん見ますよ。良くないことを書かれていますね。味に対する評価であるならば、私たちも仲間内で、それに対する話し合いをします」
ただ、「★」という評価について、謙虚なのか言葉を選んでいるのか、「お客さんの立場では、不快に感じられたのかもしれません」という返事だった。
これといって方法がない、そうだ。
先に言及した二つのレビューだけは目にしないでほしい、と願うしかなかった。
◇味とは主観的なもの
この企画を考えたのには、わけがある。
たまたま、記者が8年間も通い詰めているトッポギ店に対するレビューを見たからだ。
海鮮と野菜がたっぷり入っている。それでいてスープはあっさり、ピリ辛だが刺激的ではない。
店主も情に厚い人だ。記者が店で食事をしている時、煮込んでいる間に携帯電話ばかりを見ていて、ふたを開けそびれると、店主は静かにやってきて代わりに開けてくれる――そんな人柄だ。
つまり、それだけ「自分のつくる料理をおいしく食べてもらわないと困る」というプライドも強いわけだ。
そういう気持ちもあって、新型コロナウイルス感染で経営が圧迫されていた時でも、デリバリーには応じなかった。「店で食べるのと同じ味がしない」という心配があったためだ――。
誰よりもよく知っている、このトッポギ店に、どこの誰か知らないが、次のようなレビューを残している。
「ヤンニョムそのものの甘みがない。トックも硬い。チョルミョンも短すぎて薄い。これまで食べたトッポギの中で一番まずい」(★)
味とは主観的なものだ。だが、そういうことを考慮したとしても、このレビューに書かれた内容には承服できない。甘さもある。トックも硬くない。チョルミョンも短くなく、決して、薄くない……。
そう考えている時、ふとあることが頭をよぎった。
自分自身、見ず知らずの人のレビューだけに頼って、数多くの店を選択肢から外してこなかっただろうか――この考えから始めたのが、今回のレビューに対する自己流の検証だった。
特別な基準を設けたわけではない。ただ、「★メニュー」のレビューがあった店だけを選んだ。
その店が、私にも同じように「星1つ」をつけさせるかもしれない。いや、もしかすると否定的なイメージが1%でも加算されるかもしれない。所在地や店名を匿名にしたのは、そういう考えからだ。
(つづく)
©MONEYTODAY