2024 年 5月 22日 (水)
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[KWレポート] 韓国社会を変えた法廷 (7)

映画の事前検閲

ポン・ジュノ監督(左)とパク・チャヌク監督©news1

短期間で急激な発展を遂げた韓国社会には、歴史の転換点で示された数多くの判決があります。そのうちの20件を通して、韓国社会の「時代精神」がどう変化を遂げたのか探ってみました。(最終回)

パク・チャヌク監督とポン・ジュノ監督がいなかったら――。映画人はもとより、一般人ですら、したくない想像だ。26年前、もし憲法裁判所の違憲決定がなかったら、これが現実になったかもしれない。

2004年にカンヌ映画祭で最高賞に次ぐグランプリ(審査員特別大賞)を受賞した「オールドボーイ」、パク・チャヌク監督の代表作「共同警備区域JSA」、ポン・ジュノ神話の序幕である「殺人の追憶」は、絶対に世に出てこなかった。

今では想像できないことだ。しかし、事前検閲が日常だった26年前なら「十分に」考えられることだ。反共理念、扇情性、暴力性などの名目で、数多くの映画が日の目を見ないままとなった。

「切られたフィルムだけでソウルと釜山を往復できる長さだ。検閲がなかったら、韓国映画は今より30年、いや50年、先を行っていただろう。ポン・ジュノだって50年前には出てきただろう」

大御所のキム・スヨン監督は、こう嘆いたりもした。

韓国の大衆文化史に一線を画した事件は、1996年10月4日にさかのぼる――。

憲法裁判所は、映画の事前審議を規定した映画法条項について全員一致で「違憲」とした。

「事前審議」という権威主義・独裁時代が生んだ異形の遺産は、1987年の民主化運動以後もさらに10年余り生き延びたが、歴史の流れに逆らうことはできなかった。

憲法裁の決定後、韓国映画界は大復興期を迎える。

創意と斬新な試みが目立つ映画がたくさん生み出された。1999年代後半から2000年代は「韓国映画のルネサンス」と呼ばれる。映画・文化界は「その黄金期は憲法裁の違憲決定のおかげだ」と口をそろえる。パク・チャヌク、ポン・ジュノの両監督が生まれる土台がこの決定で整ったのだ。

©news1

◇日本の植民地時代から「首輪」

映画の事前審査の始まりは、日本の植民地時代からだ。朝鮮総督府は思想統制の手段として映画を検閲した。韓国の映画会社の胎動と同時に検閲による「首輪」がつけられたわけだ。

解放後、しばらく検閲は緩んだが、米軍政下でも検閲は続いた。さらに、パク・チョンヒ(朴正熙)大統領の軍事独裁時代に入り、韓国映画は再び暗黒期に陥った。1962年の第5次改正憲法は、映画検閲を明示し、1987年の民主化運動で憲法が再び改正されるまで続いた。

その後、明示的な検閲規定は憲法から削除されたが、法律に規定された映画の事前検閲は消えなかった。

旧映画法は、上映前に「公演倫理委員会」による審議を明示し、これを根拠にいわゆる「反社会的」内容を盛り込んだ映画は上映が許されなかったり、カットされたりした。1996年の第1回釜山国際映画祭での開幕作だった「クラッシュ」は、10分間カットされ、国際的な恥をかいた。

「オー! 夢の国」(Daum映画よりキャプチャー)©KOREA WAVE

◇1987年以降も「事前検閲」を10年間継続

検閲に抵抗した映画人の闘争の歴史は、民主化・労働運動とも脈を通じている。

独立した映画人が集まり、民族映画を制作・上映・配給し、社会運動を実践する――そんな目的で結成されたのが「チャンサンコンメ」という映画関連団体だ。「オー! 夢の国」(1988)や「ストライキ前夜」(1990)など、労働運動を扱った映画の上映・配給を主導。

1992年には、全国教職員組合(全教組)に加入している教師の労組活動と解職問題を扱った「閉ざされた校門を開き」を製作した。俳優のチョン・ジニョンの映画デビュー作でもある。この作品は当時、教育問題を辛らつに批判し、当時のノ・テウ(盧泰愚)政権の弾圧を受けた。

事前審査を避けるため学生街を中心にアングラ上映していた製作者のカン・ホン代表を、当局は映画法違反の罪で在宅起訴した。カン代表は違憲審判請求し、ソウル刑事地裁もこれを受け入れ、1993年10月、憲法裁に違憲審判を請求した。「オー! 夢の国」を製作したホン・ギソン監督も違憲審判請求している。

だが裁判所で棄却され、カン代表の映画法違憲審判請求もやはり「卵で岩を打つ」(絶対に不可能で無謀なことのたとえ)ものだとみられていた。

しかし――裁判所はこれを受け入れた。変わりつつある社会の空気を汲み取ったのだ。

憲法裁は3年という長考を経て、1996年10月4日、裁判官が全員一致して「旧映画法第12条・13条は違憲」という決定を下した。

「ふたつ ひとつ セックス」(Daum映画よりキャプチャー)©KOREA WAVE

◇映画上映・ビデオ物等級制も相次いで違憲

旧映画法第12条とは――。

第1項で「映画(その予告編を含む)はその上映前に公演法により設置された公演倫理委員会(公倫)の審議を受けなければならない」、第2項で「第1項の規定による審議を済ませなかった映画は、これを上映できない」と規定していた。

旧映画法第13条とは――。

第1項で▽憲法の基本秩序に違反したり、国家の権威を傷つける恐れがある▽公序良俗を害したり、社会秩序を乱す恐れがある▽国際間の友誼を傷つける恐れがある▽国民精神を弛緩させる恐れがある――という場合には、公倫または放送審議委員会が該当部分を削除できるようにした。

こうした旧映画法の条項に対して、憲法裁は「審議機関である公演倫理委員会が、映画の上映に先立ち、その内容を審査する。基準に合わない映画は上映を禁止できる。審議を受けずに映画を上映する場合、刑事処罰まで可能にしたことが、その核心である」との認識を示した。

そのうえで「これは明確に、憲法第21条第1項が禁止した事前検閲制度である」と断じた。

憲法裁の違憲決定に映画関係者は歓呼した。

だが、現実は容易ではなかった。

当時の社会雰囲気は、露骨な性行為描写や自由な思想表現などに対する拒否感も少なくなかった。これを大義名分として、当局は映画振興法を改正し、もう一つの検閲装置を作り出した。

改正映画振興法は、事前審議制度を「上映等級付与制度」に衣替えして▽全体観覧可▽12歳以上▽15歳以上▽18歳以上観覧可――などに細分化した。そこに「等級分類保留制度」を加え、事実上、上映を阻む仕組みとした。

当時、映画「ふたつ ひとつ セックス」の製作配給会社の代表であるクァク・ヨンス氏は、上映等級分類保留制度について違憲審判請求し、ソウル行政裁判所もこれを受け入れた。そして憲法裁は2001年に裁判官9人のうち7人の多数意見で、原告請求を受け入れ違憲決定を下した。

裁判所は「大統領が委員を委嘱して国家予算から補助を受けることができる映像物等級委員会は、実質的に行政機関である検閲機関に該当する」と認定したうえ「等級分類保留は、映画上映以前に内容を審査し許可を受けなければ発表を禁止する検閲に該当するため、言論・出版に対する許可や検閲を認めない憲法に違反する」とした。

このような判断は、1996年の旧映画法違憲決定の趣旨によるものだ。検閲装置も容認しないという憲法裁の立場を重ねて明確にしたものと評価される。

◇基本権が一歩前進

映画に続きビデオの等級分類保留制度も、やはり2008年に違憲決定が下され、「表現の自由」の保障に対する確固たる意思が守られている。

映画界の闘争の末、事前検閲制度は歴史の裏道に消えた。

だが、文化産業の領域が多様化し、保守的な当局の規制と、これに対抗する新文化産業間の争いは、依然として残っている。ゲーム産業振興法やメタバースなどに対する規制の可否、その必要性を巡る論争などが代表的だ。

新たな形態の産業が登場、発展すると同時に摩擦も絶えない。ただ、越えてはならない確固たる一線ができた。それは文化・創作領域での事前検閲は、容認しないという大原則だ。

当局の規制も創作の結果が出た後の問題であり、事前検閲はこれ以上踏み出せなくなった。

1996年の違憲決定は、基本権が一歩前進する契機になったという点で、その意味は格別だ。

(おわり)

「韓国社会を変えた法廷」はnews1のリュ・ソグ、シム・オンギの両記者が取材しました。

©news1

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