公共交通機関でスマートフォンを手に取る人の多くがオンラインゲームを楽しんでいる。メディアに接する乗客よりも圧倒的に多い印象がある。日本や韓国のみならず、世界を席巻するこのオンラインゲームの存在をどう考えればよいのか。ゲーム雑誌の編集長を務め、日本オンラインゲーム協会事務局長を務める川口洋司氏へのインタビューを通じて考えてみた。
◇「一つの文化」
中国・杭州アジア大会(2023年)で初めてeスポーツが正式種目に採用された。その記念すべき大会を制したのが韓国代表チームだった。プロゲーマーのFaker(イ・サンヒョク)選手が「リーグ・オブ・レジェンド(LoL)」部門で金メダルを獲得し、アジア大会のトップに浮上した。同大会で韓国代表チームは金メダル2、銀メダル1、銅メダル1個という好成績を上げた。
大会が始まる前、韓国国内では「ゲームをスポーツと同格と見るのが正しいのか」という意見も根強かった。だが、韓国代表チームが善戦したことで、eスポーツに向けられる視線も変わった。
「eスポーツをこの目で見て驚いた。うちの子に『ゲームをするな』とは言えない。私には新たな経験で、感動した」
アジア大会韓国選手団のチェ・ユン団長は興奮した様子だった。
ゲーム依存症、過度な課金による破産……。韓国でも日本と同様、ゲームは否定的な側面で語られることが少なくない。だが韓国のeスポーツは今、単なる趣味や娯楽を越えて、一つの文化として認められている。
◇最初は海賊版
韓国のゲーム産業は短期間で飛躍的な成長を遂げ、いまでは韓国はeスポーツ先進国といえる。プロ選手が韓国を飛び出してグローバルな活躍をする。テレビやインターネットの動画配信で試合が中継され、eスポーツ観戦も一般化している。「リアル」なスポーツよりも人気が高い競技もある。
韓国のオンラインゲーム発展の歴史は、韓国政府の「国を上げてのIT化」を抜きには語れない。
川口氏によると、1990年代、韓国ゲーム業界の主流は「コンソールゲーム」だった。「コンソールゲーム」とは、「Nintendo 3DS」「プレイステーション」などのような、ゲームを操作する時に専用の機器を必要とするものだ。
任天堂のファミコンが1980年代末に韓国で発売され、日本と同様、若年層の間で人気を博した。1990年代になると、セガのメガドライブ、任天堂のスーパーファミコンも韓国で発売され、ゲームファンは増えていった。発売されたゲームは、韓国のオリジナルゲームもあったが、多くが日本のゲームがローカライズされたものだった。
当時、川口氏は、韓国で創刊されたゲーム雑誌「Game Champ」に、自身が手掛けるゲーム誌の情報を提供し、編集制作にも協力していたため、韓国のゲーム市場動向はある程度、把握できたという。
◇アジア通貨危機
こうした韓国市場が大きく変化した。その最大の要因が1997年のアジア通貨危機だった。
韓国経済は大きな打撃を受け、通貨危機のさなかに大統領に就任したキム・デジュン(金大中)氏は「ニューディール政策」を打ち出し、公的書類のデジタル化を進めた。その動きは幅広い分野に及び、高速インターネット回線などのインフラ整備に拍車がかかった。
時期を同じくして、ゲームのあり方にも変化が現れていた。インターネットを通じてパソコン(PC)でプレイするオンラインゲームが1990年代後半、米国で登場した。韓国では2000年に入って、このオンラインゲーム人気に火がつき、これをプレイできる「PC房(パン)」(インターネットカフェ)が次々に誕生した。
オンラインゲームのビジネスで成功した企業が次々に株式を公開する。ゲームビジネスで成功しようというベンチャー企業も生まれる。オンラインゲームの「タイトル」(作品)も量産されるようになり、それらがアジア各国に輸出(ライセンスアウト)されるようになる――。
川口氏は、当時の韓国のゲーム産業の様子を振り返り、「ゲームを作りたい企業に韓国政府は先行投資して育成し、成果物を輸出するというモデルを作った。それに気づいたのはすごい」と語った。(つづく)
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