2024 年 12月 22日 (日)
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迷子の子、直ちに海外へ [KWレポート] 国際養子縁組の闇 (5)

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「あの時、子供を預けなかったら……。私のせいです」

わけもわからないまま3歳で海外に養子縁組された息子と38年ぶりに再会したある父親は、誰かを恨んだり、どこかに訴えたりすることもなかった。子供と再会して2年たったが、彼が持っている感情は、ただ息子に対する自責の念と申し訳なさだけだった。

今回のインタビューで、2019年1月の38年ぶりの再会を振り返り、依然として自身の行動に対する後悔と、自責の念を繰り返し語った。

1981年に家庭の経済事情が厳しく、両親はしばらく知人の家に息子のジョシュアさんを預けていた。だが、そのまま38年間、子供と生き別れることになった。

ある時、ジョシュアさんは迷子になった。親は知らせを聞いて急いで迷子の届け出をしたが、無駄だった。ジョシュアさんは、迷子になって1カ月もたたないうちに孤児として書類が捏造(ねつぞう)され、米軍関係者に養子縁組された。

当時、子供を探そうとあらゆる手段を使ったが、無駄だった。ジョシュアさんも当時、海外養子縁組をさせられた他の子供たちのように、国家と民間養子縁組機関の主導の下、孤児の身分で養子縁組された。

ジョシュアさんは30年間、両親が自分を捨てたという憎しみの感情を胸に抱いて生きてきた。一方の親は同じ時間、地獄のような人生を送ってきた。

親でも子供のせいでもない。むしろ、彼らは政府と養子縁組機関のずさんな管理で被害を受けたのだ。しかし、子供を失った親たちは、まだ政府と養子縁組機関を恨めないでいる。

子供が両親に捨てられたと思って苦痛を受けたことを考えれば、時間がたっても罪悪感から抜け出せずにいるからだ。

◇「大人になったら会おう」と約束したのに

これまで子供を海外養子に出した生みの親たちの事情は、それぞれ違っていた。しかし、ほとんどが生活苦に陥り、やむを得ない選択をする場合がほとんどだった。

ただ、この過程で養子縁組機関は、生みの親に養子縁組の手続きをきちんと説明しない場合が多く、生みの親が養子縁組そのものを知らない場合もあることがわかった。

崇実大学産学協力団研究チームが国家人権委員会に提出した「海外養子縁組 人権状況実態調査を通じた人権保障方案研究」報告書には、過去の海外養子縁組の状況を伝える生みの親たちの証言が記されている。

研究に参加した生みの親の一人は「子供を外国に養子に出せば、そこで子供が勉強し、成人になって母親に会いに来ることができる。10年以内に子供に会えると思った」と話した。

(つづく)

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