キムさんにインタビューした。途中、キムさんは1枚の写真を示した。そこには、養子に行く直前の1983年12月23日のキムさんの姿が写っていた。キムさんと弟の書類が作成されたその日だった。
◇1日で養子縁組が決まり
キムさんは「昨年、フランスの養父母の家を訪問した時、この写真を発見して驚いた。写真が貼られていた書類は、私の養子縁組が決まった日が1983年12月23日となっていた」と話した。孤児院に入るやいなや、海外養子縁組の手続きが進められたことになる。
キムさんによると、海外で養子縁組を希望するという話があれば、韓国の養子縁組機関と政府は、養子縁組と関連した手続きを一気に進めた。そしてこの過程には、海外養子縁組の手数料というものがあった。
キムさんがフランス人の養子となった当時、手数料は3000ドルだった。これはキムさんだけに適用されたものではなかった。
1989年5月10日付東亜日報には「国民所得4000ドルを達成した韓国社会で、まだ5000ドルの養子縁組補助金で海外の家庭に売られている子供たちが年間6000人いる」という記事が掲載されている。
1980年代初め、1年ほど国内のある養子縁組機関で働いた経験のある崇実大学社会福祉学科のノ・ヘリョン教授も「国内養子縁組より海外養子縁組の手数料が10倍以上高かった。また、海外養子縁組の場合、事後の管理面で国内養子縁組よりすべきことが少ないことも、海外へ養子を多く送ろうとした理由だろう」と話した。
手数料は、韓国の養子縁組機関と海外のパートナー機関とで分け合った。しかし、この手数料がどのように使われたのか明確な説明が不足している。海外養子の大部分が「私たちは物のように売られていった」と訴える理由もこのためだ。
キムさんは「当時、海外養子縁組は、児童のために新たな家庭を探すのではなく、養子縁組を希望する夫婦のために児童を確保する事業だった」と指摘する。「私たちはこのような事業の過程で、物のように売られた」と主張した。
◇真実調査開始「韓国政府は私たちを捨てた」
海外へ養子に出された人たちが過去の問題点を指摘し、国と養子縁組機関の責任を問うために動いている。
現在まで海外養子371人が真実・和解のための過去史整理委員会に養子縁組過程全般に対する調査を申請した。同委員会は昨年12月、「海外養子縁組の過程で国家などの不法行為と児童と生みの親に対する重大な人権侵害の素地がある」として、34件の調査開始を決定した。養子に出された人の申請は現在も続いており、調査規模はさらに大きくなる見通しだ。
キムさんも昨年1月から真実究明のために、自分の養子縁組過程で起きた国と養子縁組機関による違法行為の証拠を集めている。その目標は、韓国養子縁組制度に関する報告書を作成し、国連など国際社会に公開することだ。
キムさんは「一部には、養子に行って豊かに暮らし、フランス語を学べたことだけでも感謝しろと言う人もいる。だが、わけもわからないまま親のいる国を離れて言葉も通じないところで暮らしてみれば、とてもそんなことは言えないだろう」話した。そして「私たちは養子縁組を望んだことがなく、国家と機関の犠牲になった被害者だ」と訴えた。
多くの海外養子が韓国でのことを思い出したがらないそうだ。「個人的な情報は、私たち養子だけが閲覧できる。大変かもしれないが、真実を究明し加害者から謝罪を受けられるよう今後も戦い続けていく」
(つづく)
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