「全羅南道〇〇郡〇〇面〇〇〇〇番地」。1984年にフランスに養子に出された当時、まだ13歳だったキム・ユリさん(50代)は、時が流れても幼少時に住んでいた住所を決して忘れなかった。これが、韓国に帰って実の親と再会できた手がかりだった。
11歳まで平凡な家庭で幼少期を過ごした。だがその後、両親の離婚などで、しばらく弟と一緒に孤児院に預けられた。
キムさんによると、海外養子の大半は、韓国での記憶を忘れようとしている。海外に子供を養子として送り出した親に裏切られたという思い、そして養子縁組機関で受けた虐待が、トラウマとして作用するためだ。
キムさんも養子縁組を結んだ後、成人になるまで自分が親に捨てられたという考えから抜け出すことはできなかった。キムさんが親ではなく母方の祖母を先に訪ねた理由もここにある。
キムさんは親と再会した後、しばらくして衝撃的なニュースに接した。親がキムさんを海外養子に送ることにいかなる同意もしたことがなく、養子縁組書類にはキムさんが「孤児」と明示されていたのだった。
韓国に帰って確認した結果、キムさんの養子縁組書類には、親ではなく孤児院関係者の署名が後見人の資格で同意欄に記載されていた。親はキムさんの養子縁組に同意していなかったというわけだ。
家族と生き別れになり、海外であらゆる受難を経験したキムさんは、胸がつぶれる思いをした。
一方、母親は「死ぬまで会えないと思って罪悪感を覚えた」という。
国家は私に、私たちに何をしたのか……。
キムさんは昨年1月から法務省、保健福祉省などを通じて自分の養子縁組の過程を調べている。国と養子縁組機関の不法行為の証拠を探し出し、韓国養子縁組制度に関する報告書を作成し、国連など国際社会に公開するつもりだ。
(つづく)
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