◇本館、官邸、迎賓館…それぞれに歴史が刻まれ
韓国大統領府の青瓦台(チョンワデ)が74年ぶりに、大統領や王が滞在する「九重宮闕(きゅうけつ)」から国民の空間に変貌した。今月10日正午ごろ、ユン・ソンニョル(尹錫悦)氏の大統領就任にあわせて青瓦台の正門が開かれ、6000人を超える市民が本館・迎賓館・官邸・常春斎(サンチュンジェ)など、歴代大統領の空間を巡った。
今後、特別開放の事前申請に応募・当選した市民が連日3万9864人(初日の10日は2万6000人余り)が訪れ、この青瓦台に染み込む韓国の近・現代史に触れることになる。
◇高麗・朝鮮、大韓民国まで…1000年「禁断の地」
大統領府の歴史は高麗(コリョ)時代まで遡る。
1068年、高麗文宗(ムンジョン)が都の離宮として建立され、1104年に粛宗(スクチョン)が宮殿を増築して青瓦台区域は「王の土地」となった。
以後、朝鮮時代には景福宮(キョンボククン)の後苑である上林院(サンリムウォン)として使われ、1868年、高宗(コジョン)の時代に興宣大院君(フンソンテワングン)が景福宮を再建した。ここに景武台(キョンムデ)という名称の後苑を整え、科挙試験場の隆文堂(ユンムンダン)、軍隊試験場の隆武堂(ユンムダン)を建てた。
今回、青瓦台そのものの開放は74年ぶりだが、その歴史から考えれば、一般大衆の空間になるまで実に1000年の歳月がかかったということになる。
日本の植民地時代に入って、青瓦台は朝鮮総督府官邸になる。
この時、甑山教(チュンサンギョ)の系統である「普天教(ポチョンギョ)本堂の青色の瓦」を葺くことになった。
日本の撤退後、米軍政期の司令官官邸として使われた。1948年に大韓民国政府が樹立されたあと、イ・スンマン(李承晩)大統領が引き継ぎ、初めて大統領の空間になった。イ・スンマン大統領は景武台という名称をそのまま使った。
続くユン・ボソン(尹普善)大統領のころから、屋根の青い瓦にちなんで「青瓦台」という名称が公式に用いられるようになった。
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