韓国で修学旅行中の高校生ら300人以上が犠牲となった旅客船セウォル号沈没事故(2014年4月)からまもなく10年となる。「10年ですが、私はまだその日に生きています。いくら時間が経っても、私は自分の子どもが苦しみながら亡くなったその日に毎日戻ります」。遺族の一人、チョン・ソンウクさんはこう語った。
3月16日午前、京畿道光明市(キョンギド・クァンミョンシ)の光明市庁前でチョン・ソンウクさんと会った。チョンさんは自身のことを「安山檀園(アンサン・タンウォン)高2年7組ドンスのアッパ(父さん)」と紹介した。
「この10年がどう過ぎたのかわからない。忘れないことは辛いが、それが安全な社会を作る正しい道だと考える」
チョンさんはこう語った。
この日午前9時、セウォル号事故遺族52人と市民約150人の200人余りが光明市庁前に集まった。
遺族と市民らは先月25日、済州(チェジュ)から始まり、全羅南道(チョルラナムド)、慶尚南道(キョンサンナムド)、慶尚北道(キョンサンブクド)、全羅北道(チョンラブクド)、忠清道(チュンチョンド)、江原道(カンウォンド)、京畿道安山(キョンギド・アンサン)などを経て、同日、光明市庁前で3週間の市民行進を締めくくるために集まった。
特にこの日は光明市庁から出発しソウル中区ソウル市議会前の「セウォル号記憶空間」まで約15.9kmを歩く日程だった。
行進に先立ち、4・16セウォル号事故家族協議会事務局長で遺族のキム・スンギルさんは「セウォル号事故以後、私たちは真実、責任、生命、安全のために10年を歩んできた。ところがまだ梨泰院(イテウォン)雑踏事故、豪雨で浸水して死者が出た五松(オソン)地下車道事故が起きている」と訴えた。
しかし依然として国家は責任を負わず、こうした事故に対する原因究明と責任者の処罰をしていない。この10年間にあったさまざまな事故を記憶し、真相究明と責任者処罰をしてこそ、安全な社会に進むことができる。これを私たちはわかっている。その道をまた一歩一歩、進んでいきたい――こう訴えかけた。
その後、3列縦隊で長い隊列を組んだ参加者たちは、澄んだ空の下、黄色い傘を広げ黙々と歩いていった。黄色い傘はセウォル号事故で犠牲になった子どもたちを象徴するものだ。
◇「私たちは活動をやめない」
セウォル号事故遺族と市民らは3時間余り歩いた末、午後0時半ごろ、汝矣島(ヨイド)公園に到着した。そこで梨泰院事故の遺族らと合流し、しばらく抱擁を交わした。
梨泰院事故の犠牲者である故イ・ナムフンさんの母親パク・ヨンスさん(58)は「セウォル号事故の犠牲者もそうだが、うちの子も『行ってきます』という挨拶はしたが、『ただいま』という挨拶はできなかった」と振り返った。
セウォル号遺族のシン・ヒョンホさんは「セウォル号事故があった後、薬を飲んでいて数年前にやめた。でも梨泰院事故が発生した後にまた薬を飲んでいる。まだ真相究明と責任者処罰を叫んでいるのに、十分達成できず、梨泰院事故遺族の方々の顔をまともに見られない」と吐露した。
シンさんは歩いてくる間、空を見ながら亡き子に思いをはせたという。「わが子の事故が単にやむを得ない事故として記憶されるのではなく、私たちの社会を安全な社会に変える契機になれば良いと願うだけだ」
チョン・ソンウクさんは次のように訴えた。
「来月、セウォル号事故10周忌になる。もう(活動を)やめろと言われる。しかし、私たちはやめられない。なぜセウォル号が沈没し、海洋警察はなぜ乗客を救助しなかったのか、10年が過ぎた今でも明確な理由が明らかになっていないからだ。人々が安全で幸せな国で暮らせるよう、声を出さなければならない。私たちがその先頭に立つ」
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