
韓国伝統芸能「パンソリ」。声と物語を操って観客を魅了する総合芸術で、その精神はK-POPにも脈打っている。「250年の芸」を引き継ぐアン・ソンミン(安聖民)さんは日本で生まれ育った在日3世。「日本では学べない」と言われながらも韓国に渡航して修行し、「在日の自分にしかできない声」を追い求めてきた。「今日のソリは今日限り」を掲げ、祖先の歴史を声に乗せる「継承の旅」が続く。
◇語り・歌・演技・身体表現が一体化した総合芸術
「ヨロブン、アンニョンハセヨ(みなさん、こんにちは)。アン・ソンミンと言います。コリアンタウンにお越しのみなさまに、韓国の伝統芸能パンソリを知ってもらいたいなと思って、飛び出てまいりました」
動画投稿サイト「ユーチューブ」に「安聖民コリアタウン路上ライブVOL.1」(2017年9月24日)がアップされている。その映像には、民族衣装で「路上ライブ」に臨むアン・ソンミンさんの姿が収められている。「パンソリをご存じの方は?」。アン・ソンミンさんがこう問いかける。手を挙げた人がいなかった。それでも、アン・ソンミンさんは「初めての方ばかり。嬉しいですね」と続け、「物語を歌ったり、語ったりする韓国の伝統芸能です。全部、韓国語ですが、どうぞ想像力を働かして、何を歌っているのかなと考えながら観てもらえればと思います」と伝えた。
パンソリは一人の唱者(ソリクン)が太鼓の伴奏(プク)に合わせ、物語を歌と語りで演じる語り芸だ。17~18世紀ごろに成立し250年以上の歴史を持つ。こんにちでも韓国国内で多くの継承者を生み、国際的な評価も高く、2003年にはユネスコの「人類の口承および無形遺産の傑作」に選定され、2008年からは無形文化遺産として登録されている。
その特色は、単なる声楽や演劇ではない。語り・歌・演技・身体表現が一体化した総合芸術である点にある。唱者は扇子一本を手に、人物の心情から場面描写までを声ひとつで表現する。時に低く荒々しい叫び、時に高らかな喜びを響かせ、観客はその声を通して物語の世界へと引き込まれていく。
パンソリの「パン」とは、もともと「人々が集まる場」を意味し、広場や市場などを指していた。「ソリ」は単なる「歌」ではなく、水音や風音、笑い声、泣き声までを含む広義の「声・音」を示す。したがってパンソリは、「多くの人が集う場で、声を尽くして物語を伝える芸能」と理解できる。観客が唱者に向けて「チュイムセ」と呼ばれる掛け声を発するのも特徴だ。笑い、涙し、励ましながら一つの物語を共有する――その場が持つ臨場感は、他の舞台芸術にない魅力を放つ。
パンソリ作品は「マダン」と呼ばれる一本の長編で構成される。最も古い文献資料から確認できるのは12マダン。現代まで伝承されている古典作品は▽春香歌(チュニャンガ、身分差を越えた恋と信念を描く恋愛叙事)▽沈清歌(シムチョンガ、盲目の父のために娘が身を投げる孝行物語)▽興甫歌(フンボガ、貧しい弟と強欲な兄の対照を描く民衆的教訓譚)▽水宮歌(スグンガ、スッポンとウサギが登場する風刺喜劇的な説話)▽赤壁歌(チョッピョッカ、『三国志演義』を題材にした武勇物語)――が「五大パンソリ」といわれる。
各作品は数時間に及び、時に8時間以上かけて完唱されることもある。物語には笑いも涙もふんだんに盛り込まれ、作り手や唱者によって構成が異なるため、「生きた芸能」として絶えず変化してきた。

◇母が台所で口ずさんだ歌
アン・ソンミンさんは大阪市生野区育ち。幼いころ、母が台所で口ずさんだ歌を真似ていた記憶が、後にパンソリとの出会いとなった。「自分にも民族がある」と気づいた一方で、在日社会に根強く残る差別の現実は、アイデンティティへの問いを絶えず突きつけた。大学生のころ、民族文化牌「マダン」(大阪市生野区を拠点に活動していた在日グループ)に参加し、舞踊や民謡、演劇を通じて表現活動にのめり込む一方、「もっと歌を学びたい」という思いが募った。
「日本ではパンソリを学べない」。そう言われ続けながらも、9年間勤めた公立小学校の民族学級講師を辞し、学ぶ場を求めて韓国へ留学した。行き先は本場・全羅南道光州。屋上のプレハブで暮らし、橋の下で発声練習を繰り返した。それでも「パンソリを習えるだけで毎日が輝いていた」という。
やがて、国家重要無形文化財第5号・パンソリ「水宮歌」技能保有者のナム・ヘソン(南海星)師の門下に入る。サンコンブ(山中合宿)に参加した際、「イルボン(日本)」と呼ばれ、胸がチクチクしたこともあったが、ナム・ヘソン師は「在日のあなたにしかできないソリをしなさい」と励ました。この言葉は、アン・ソンミンさんの芸術人生の支柱となった。
プロ唱者と比して自身を厳しく見つめ、声への劣等感も抱いた。だが、ある公演で「沈清歌」を語った際、盲目の父を想う娘の痛切な声が観客の心と響き合い、舞台と客席の境が消えた。「自分にしか出せない声」があると確信できた瞬間だった。
現在は立命館大学で民族の言葉を教え、教育者としての顔も持つ。「一番大事なのは『伝えたい』という想い」だそうだ。舞台構成と同じく、学生が集中して学べる授業づくりを心がける。扇子かチョークか。道具は異なっても、文化を伝え、継ぐという使命は変わらない。
さらに、鼓手のチョ・リュンジャ(趙倫子)さんが脚本を書き、アン・ソンミンさんが旋律をつけるスタイルで、在日社会の歴史や記憶を題材にした創作パンソリにも力を注ぐ。「四月の物語」(済州4・3事件)、「海女たちのおしゃべり」「にんご」「水宮…歌?」など、植民地や分断、移住による「恨(ハン)」を声へと昇華する舞台は、観客の心を深く揺さぶっている。
アン・ソンミンさんは現在、大阪を拠点に北海道から九州まで全国で舞台を重ね、通算44回の「パンソリライブ」(2025年10月時点)を数える。2026年2月1日に大阪府吹田市で「水宮歌」の完唱公演を開くため、その準備を急ピッチで進めている。
モットーは「今日のソリは今日限り」だ。伝統を守りながら、その日出会う観客と物語を紡ぎ出し、二度と同じ舞台をつくらない。「生まれ変わってもまたソリの道を選ぶ」。師の言葉を胸に、故郷に帰れなかった祖父母の思い、葛藤を抱えた両親、若き日の自分自身の痛みを声に乗せる。
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