2026 年 1月 29日 (木)
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育児はモデルハウスじゃない。カメラのない場所にある本当の愛情 [韓国記者コラム]

子どもが部屋に入ってわずか数分で散らかった寝室の床(c)MONEYTODAY

ドラマで理想化された職場環境を描く演出は、しばしば「会社員ポルノ」と呼ばれる。現実の苦労や努力を覆い隠し、人々が夢見る幻想だけを誇張し、快楽を与えるからだ。本質を伏せ、刺激的なイメージだけを提供するという意味で、「ポルノ」という極端な表現が使われる。

同じ視点で見ると、テレビや動画配信サービスに登場する芸能人の育児は、「育児ポルノ」と呼ばれても不思議ではない。写真集のように穏やかで洗練された育児風景、必要な場面で現れる最新の育児グッズ、感動と笑いだけがあふれる空気感。現実の育児との隔たりはあまりに大きい。

「会社員ポルノ」は、誰もが現実と違うと理解したうえで、つかの間の疑似満足を得られる余地がある。しかし「育児ポルノ」の弊害は深刻だ。育児は家庭内で孤立しがちな営みであり、テレビの中の育児と「いまの自分の育児」を比べることで、自己嫌悪や落ち込みに陥りやすい。

◆24時間かわいい子どもはいない

食パンをこれ以上もらえないだけで泣き出す子ども。育児の大半は、こうしたやり取りや後始末に費やされる。

番組の核心は編集にある。芸能人の親たちも、実際には苛立ちや疲労を感じる瞬間があるはずだ。それでも番組は、親も子も笑顔の場面だけを切り取り、視聴者に届ける。現実の育児の多くを占める、親の「ぼう然」や「込み上げる感情」は映らない。スタジオの笑い声と、常に明るい表情の親だけが画面を満たす。

現実では、少し目を離すだけで家庭内でも危険は生じる。子どもは言うことを聞かない。それでも画面の中の芸能人の親は、緊張も怒りも見せない。カメラやスタッフが家中に入り、番組制作という前提があるからだ。

育児の「汚れ」も放送ではほぼ消える。おむつ替えの最中に顔に尿がかかる親、疲れ切って髪を洗えない日、離乳食で汚れた床やベビーチェア、引っ張られて首元が伸びたTシャツ。代わりに映るのは、協賛品に囲まれ、きれいに身支度を整えた親の姿だ。現実の育児は、そんなに清潔ではない。

◆芸能人並みでなくても「悪い親」ではない

こうした「育児ポルノ」を見た後に画面を消すと、喪失感や自責の念が押し寄せる。広い家、高価な玩具、洗練された空間と比べ、黒いテレビ画面に映る自宅はみすぼらしく感じられる。「なぜ自分はできないのか」「なぜうちの子はあんなふうに笑わないのか」といった問いが連鎖する。

そんなとき、同世代の親と交流する場は大きな助けになる。周囲の育児が「自分と大きく変わらない」と知るだけで、不安はかなり和らぐ。「子どもが特別ではない」ことと同じくらい、「自分や家庭も特別ではない」と感じられることが支えになる。

他の家庭を訪ねるのも一案だ。片付けてもすぐ散らかす子どもがいる現実を目にすれば、「育児は番組とは別物だ」と実感できる。モデルハウスと実際の住まいが違うのと同じだ。

◆育児番組より「目の前の子ども」を

理由も分からず床で叫び、踊るように暴れる子ども。原因を突き止めようとする欲は、最初から捨てた。ただ嵐が過ぎるのを待つ。

育児を経験した人は知っている。大半は親の犠牲、意味があるのか分からない反復作業、気づけば減っていく口座残高で成り立っている。番組の5~10分の「美しい育児」は氷山の一角にすぎない。

もちろん、現実の育児にも喜びや輝く瞬間はある。ただ、それが特別に感じられるのは、汗と涙の積み重ねがあるからだ。カメラのない場所で注がれる親の愛情こそが、子どもを育てる。

約100年前、英国の精神科医ドナルド・ウィニコットは「完璧な親でなく、十分に良い親でよい」と語った。すべてを完璧に与える必要はなく、不器用でも最後までそばにいる存在であればいい。広い家も高価な物も要らない。疲れた顔でも、もう一度だけ子どもの目を見て笑えれば十分だ。

画面の中の「育児ポルノ」に振り回されず、今日も子どもの隣で踏みとどまる。そんな親こそが、最良の親なのだ。【MONEYTODAY チェ・ウヨン記者】

(c)MONEYTODAY

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