――10日の封切りを控えているが。気分はどうか。
キム氏 微妙な時期なので、良いのか悪いのかわからない。多くの方に愛してほしい。当時、若すぎてろうそくに対する記憶がない子供に見せ、母親と父親がこのような素敵なことをやり遂げたうちの一人だったと言うことができればいいだろう。
チュ氏 政治用ではなく、教育用だ。ソウル市江南区大峙洞(テチドン)の進学塾街で見せなければならない。学生たちには、両親と先輩がどのような歴史を作ったのか、この映画を見て学んでほしい。
――2人とも映画監督は初めてだ。
チュ氏 大変だった。「私は長い記事を書く調査報道記者だ。記事を書くように構成して、どんなことがあったのか見せればいい」と考えた。しかし違った。全く違う領域だった。
キム氏 私は多作の俳優ではないが、これまで現場で多くの監督に会った。この作業をしながら、私が過去の現場で監督たちが何をしているのか、きちんと見ていなかったという思いにとらわれた。続けて決断しなければならないが、よくわからなかった。よくわからないのにずっと判断を問われる。その後は現場で監督たちを注意深く見守った。一日中、選択をしていた。世間のすべての監督を尊敬するようになった。
――「私のろうそく」を作ることになったきっかけは?
キム氏 ウ・サンホ議員が弾劾政局当時の汝矣島(ヨイド=国会議事堂がある場所)であった秘話を語るのを聞いて、当時の証言を集めて話を構成すれば面白いと思った。“(当時の民主党代表だった)チュ・ミエのろうそく”は驚かされる、“シム・サンジョンのろうそく”にはさらにアメージングし、“パク・チウォンのろうそく”も驚くだろう、と。政治家たちは、自分たちが「ろうそくデモ」の主人公だと考えているが、その主人公は市民だ。そこから始まった。人類の歴史にこれほど、美しい民主革命はなかった。この話がしたかった。
チュ氏 先輩(キム・ウィソン)と一緒にMBC『ストレート』で番組を進行する時、先輩が、ウ議員が話してくれたろうそく関連の話をしながら「興味深い」と言っていた。ただし、政治家たちは、自分たちが『ろうそくデモ』の主人公だと考えているが、その主人公は市民だ。そこから始まったのだ。人類の歴史にこれほど成功的で美しい民主革命はなかった。
――このドキュメンタリーで何を言いたかったか。
チュ氏 混乱した政治を国民が正した歴史を記録したかった。主人公が市民というのが重要だった。映画封切りの知らせが伝えられた後、JTBCのソン・ソクヒ氏から連絡が来た。自分の分量がどの程度なのか聞かれた。『エキストラ』だと答えた。この作品に登場する政治家らはすべてエキストラだ。市民が主人公だ。ろうそく革命が起きた後、政治家たちは逃げるのに精一杯だった。市民が汝矣島と大統領府を圧迫し、(政治家がろうそくに)焼かれる状況となったため、このように歴史が動いたのだ。ところで面白いのは、ろうそくデモの主人公が自分だと考える政治家が多いことだ。
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