
北朝鮮が1995年、タイの貿易代表団に対し「時期が来れば中国のような改革・開放を進める」と言及していたことが、30年ぶりに公開された外交文書で明らかになった。当時は深刻な経済危機「苦難の行軍」の最中で、食料確保を含む生存戦略に追われていた実態も浮かび上がった。
韓国外務省が3月31日に公開した機密解除文書(約2621冊)によると、1995年4月に訪朝したタイの貿易代表団に対し、北朝鮮は日用品や穀物の輸入を求め、代金を4~5年後に支払う長期の掛け取引を打診していた。
特にコメなどの穀物輸入について継続的に交渉を試みたが、タイ側は1年未満の信用取引しか認めない制度を理由に拒否した。代替案として北朝鮮は自国資源の提供も提案したが、供給量への懸念から交渉は進展しなかった。
こうした中、北朝鮮側は改革・開放の可能性にも言及した。文書によると、「キム・イルソン(金日成)主席の死去(1994年)に伴う服喪期間中のため具体的な政策は示せない」としつつ、「いずれ中国と同様の改革・開放を進める」と説明していたという。
ただし、この発言の真意については慎重な見方もある。極度の経済難の中で対外支援を引き出すための外交的な表現だった可能性が指摘されている。
実際、当時の北朝鮮は社会崩壊の危機に直面していた。1990年代後半にかけて「苦難の行軍」は最悪期を迎え、数十万人規模の餓死者が出たとされる。
こうした状況下でも、後継指導者のキム・ジョンイル(金正日)書記(当時)は「先軍政治」を掲げ、改革開放ではなく体制維持と軍事力の強化を優先した。
また、当時のタイ側は訪朝後の評価として「北朝鮮経済は深刻な困難にあり、閉鎖体制の維持は長く続かない」と分析していた。工場視察では内部の稼働状況を確認できず、外観のみの見学にとどまるなど、実態の不透明さも指摘された。
(c)news1