
北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党総書記は2025年9月2日に中国を訪問した際、娘を同行させた。国際外交の場に姿を現した娘について、すぐさま「後継者としての地位を固めた」とする分析が出た。
韓国情報当局は国会情報委員会に対し、娘に海外経験を積ませつつ、公開行事には登場させなかったことで「訪中期間中に有力な後継者として必要な革命叙事を十分に確保した」との分析を示した。日本のメディアも「娘が後継者になり得る存在であることを(北朝鮮)国民に認識させる段階だ」と評価した。
しかし、北朝鮮のテレビが公開した約50分のキム総書記の訪中記録映画を見ると、「後継者」としての娘の初の外交舞台という評価は色あせてしまう。記録映画には娘の活動の様子がほとんど収められていないからである。北京到着、北朝鮮大使館訪問、平壌へ戻る列車内、平壌駅到着時の場面の4カ所で、彼女の姿が一瞬映るだけで、称号や言及も特にされていない。
娘の存在が初めて知られたのは、米プロバスケットボール協会(NBA)の元選手デニス・ロッドマン氏が2013年9月に北朝鮮を訪れたときだ。ロッドマンは元山の別荘でキム総書記の家族(総書記夫妻、妹キム・ヨジョン氏ら)と1週間ほど過ごし、娘を抱いたと語っている。
その9年後、2022年11月18日に大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星17型」の試験発射現場にキム総書記と同行したことで、娘は一躍、国内外の注目を集める存在となった。その後、軍事関連行事に頻繁に登場するようになり、体育や警備分野にも活動範囲を広げた。
登場初期には「後継者内定説」とともに、政治的宣伝目的で「未来世代の象徴」として娘を登場させたとの分析が有力だった。初登場のタイミングも突然だった。キム総書記夫妻が出席した2022年9月9日の建国記念日公演に登場した少女を「キム総書記の娘だ」と、海外および国内メディアが大々的に報じた後、北朝鮮は約2カ月後に「本物の娘」の姿を初めて公開した。この過程が北朝鮮の綿密な計画によるものとは言い難い。
それでも、彼女の公式行事への参加頻度が高まり、「愛する子女」「尊敬する子女」「尊貴なる」などの表現が称号に付けられるようになり、自然と「後継者」とする分析が広まった。情報当局も当初は「娘を後継者と判断するのは早計」としていたが、2024年末からは「現時点では娘が有力な後継者と見られる」と見解を修正した。一部では、娘は後継者ではなく、裏で後継者教育を受けている「兄」を隠すための「見せかけの存在」に過ぎないという主張もある。
果たして、国際社会が注目するように、娘は後継者教育を受けているのか、あるいは「内定」しているのか。いくつかの論点を検討する必要がある。
第一に、娘が次女ではなく長女である可能性が高いという点である。2022年にキム総書記の娘が公式の場に登場すると、情報当局は彼女がキム総書記の「次女である娘だ」と確認し、キム総書記には2010年生まれの長男と性別不明の三番目の子がいると把握していると発表した。キム総書記と妻リ・ソルジュ(李雪主)氏は2009年に結婚し、翌年に長子を出産したという説明だ。しかし、2009年前後のリ・ソルジュ氏の行動を考慮すると、当時出産した可能性は低い。
ロッドマンと4回、北朝鮮を訪問した元マネージャーのクリス・ボロ氏も、訪朝時にキム総書記の息子の存在を知る機会はなかったと述べている。ロッドマンがキム総書記の家族と過ごしていた時、息子はいなかったということだ。現在では、キム総書記にはジュエの他に2017年生まれの息子と、その数年後に生まれた娘の三人兄妹がいるという説が有力だ。
第二に、先代のキム・ジョンイル(金正日)総書記やキム・ジョンウン総書記の幼少期の活動を考慮すると、娘の活動公開を「後継者内定や教育」の一環と見るのは難しいという点だ。
キム・イルソン(金日成)主席は1959年にソ連と東欧を訪問した際、高等中学校の卒業生だった息子キム・ジョンイル氏を同行させ、大学生時代からは軍事・経済視察にも連れて行った。キム・イルソン主席の娘キム・ギョンヒ(金慶喜)氏も1950年代後半に数回、父に同行したが、名前は言及されなかった。キム・ジョンイル氏の場合は、キム・イルソン主席の死後、現地視察に三兄妹をたまに同行させていたと確認されている。娘との違いは、キム・イルソン主席やキム・ジョンイル総書記の時代には、配偶者や子どもの同行事実がすべて非公開にされており、後継者として公式活動を始めてから写真や逸話で公開された点にある。
そういった点から見ても、後継者として公式に指定されていない子どもを公開し始めたのは、キム・ジョンウン体制が発足してから見られる現象だ。最高指導者の家族、いわゆる「白頭血統」の公開方針は、「後継者」教育や内定というよりも、妻リ・ソルジュ氏の公式化や妹キム・ヨジョン(金与正)副部長の公開活動と連動していると見る方が自然である。キム・ヨジョン氏が二人の子どもを連れて2025年の新年祝賀公演に出席した様子がテレビで公開されたのも、似たような事例である。子どもの同行は、最高指導者の子育て上の「特別な待遇」であり、後継者として指名された後に体系的に進められる「教育」とは直接的な関連がないと考えられる。
第三に、北朝鮮の体制と理論上「後継者内定」は、後継者の唯一指導体制の構築と結びつくという点である。後継者の唯一指導体制とは、「後継者の指導を完全に実現するための思想体系、組織体系、業務秩序と規律などを総称する」ものであり、「後継者が党、国家機関および大衆団体、そして大衆を指導する組織的政治的空間(体系)」を意味する。先代のキム・ジョンイル氏は1967年から党内で存在感を示し始め、1974年2月に後継者として確定された後に唯一指導体制の構築に入った。キム・ジョンウン氏も2009年1月に後継者として公式化された後に「タスクフォース」が設けられ、唯一指導体制構築に着手した。
娘も後継者に内定しているのであれば、後継者の政治活動を支える業務体制が作られなければならないが、その兆候はまだ見られていない。北朝鮮と交流する複数の中国企業関係者は、2025年7月に会った際、「(北)朝鮮で娘が後継者や後継者教育を受けていると考える人を見たことがない」「まだ朝鮮国内では後継者問題は議論されていない」と話した。
一部の専門家は、2021年の朝鮮労働党第8回大会で「総書記の代理人」役割を果たす第1書記職を新設した後、娘が第1書記に非公開で任命されたと主張するが、何の根拠もない。特に、北朝鮮では次を見据えて公開的に「後継者教育」を施した事例が過去にないうえ、北朝鮮の「後継者論」によれば、今後しばらくその可能性は低い。後継者が指定された瞬間に権力の二元化が進行するからだ。公式な職を持ち、国内外に宣伝できる実績を残す時期に至るまで、娘が後継者に内定したと判断すべきではない理由である。
娘はまだ13歳であり、入党するためには最低でもあと5年(18歳から党員加入)を待たねばならない。弟はまだ9歳に過ぎない。現時点では、彼女をキム総書記が「最も愛する娘」であり、社会主義建設に献身する「白頭血統」の一員という象徴的存在として見る方が、後継者説よりも説得力がある。
キム総書記は第8回党大会以降、2035年までに「社会主義の全面的発展」を成し遂げるという「15年構想」を明らかにした。したがって健康問題が表面化しない限り、2036年の朝鮮労働党第11回党大会開催前まで、北朝鮮国内で政治的混乱を招きかねない後継者問題が公に論議されることはないと見られる。その点からも、国内外で提起されている「娘=後継者」論争は、あまりにも消耗的で、時期尚早であると言える。【平和経済研究所 チョン・チャンヒョン所長】
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