
2026年ミラノ・コルティナ冬季オリンピックが進む中、韓国政界からの祝賀メッセージが例年に比べて目に見えて少ない。メダルの色に関わらず、選手一人ひとりの挑戦や物語に光を当てる近年の五輪の空気とは、やや温度差がある。
これまで国際総合大会では、韓国選手がメダルを獲得するたびに、与野党を問わず祝賀の論評が相次いだ。スポーツは政治的対立を超えて喜びを共有できる領域と受け止められてきたからだ。
だが今大会では様相が異なる。現時点で祝意を示したのは、イ・ジェミョン(李在明)大統領が、今大会最初のメダルとなったスノーボード男子平行大回転の銀メダルと、女子ビッグエアでのサプライズ銅メダルを祝った程度にとどまる。政党としての公式な祝賀声明は聞こえてこない。
韓国国内政治の日程や懸案が重なっている事情を差し引いても、国民の関心が集まる国際舞台で奮闘する選手たちへの共感の言葉が減っているのは、やはり寂しい。
たとえば、生活のため日雇い労働を続けながら夢を諦めず、2014年ソチ大会から挑み続けて4度目の五輪で結果を残したスノーボーダーの歩みは、多くの人の胸を打った。高校生選手が度重なる足首や手首の負傷を乗り越え、韓国スノーボード史に新たな1ページを刻んだ事実も、順位以上の意味を持つ。
今回の大会では、メダルや順位と同じくらい、選手個々の背景や挑戦の過程が注目されている。雪上競技の基盤が弱い国の選手が最下位で完走しても観客からスタンディングオベーションが送られ、信念や人生観を語る選手の声が共感を呼ぶ。五輪は記録競争を超え、多様な物語と象徴を内包する舞台へと広がっている。
それでも政治のメッセージは、いまだ「金メダル中心」の旧来の枠組みにとどまっているとの指摘は否めない。カーリング混合ダブルスで自力出場を果たした初の快挙や、フィギュアスケート・アイスダンスで唯一の現役国内ペアとして五輪切符をつかむまでの選択と覚悟など、語るべき物語は数多い。
メダルの数を超えるドラマがあふれる今大会で、スポーツを見る視線が変わってきているのは明らかだ。政界も結果至上主義を離れ、選手たちの挑戦と意味に寄り添う言葉へと、祝福の形を広げる時期に来ているのではないか。【news1 ヤン・セロム記者】
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