ソウル市瑞草区(ソチョグ)で1995年に発生し、502人が死亡、937人が負傷した三豊(サムプン)百貨店崩壊事故から先月29日で28年が過ぎた。手抜き工事に事故の「予兆」、その見逃しが重なった韓国史上最悪の安全事故は、多くの教訓を今に伝えている。
◇「ポキッ」という音
建物はA、B2つの棟に分かれ、百貨店として使われていたのは1989年に竣工したA棟だった。事故以前から亀裂が多数でき、5階の食堂街は床が徐々に傾いて天井の亀裂からコンクリートの粒が落ちた。
事故前日の6月28日、状況がさらにひどくなった。屋上が崩れ、鉄筋の柱がセメントの床を突き破ってせり上がった。
しかし、対応は取られなかった。
事故当日、4~5階で「ポキッ」という音が聞こえ、振動を感知した。経営陣は屋上冷却塔の振動を減らそうと慌ててエアコンを止めた。
午後には専門家が緊急安全診断を実施し、直ちに営業を中断して補修するよう勧めた。
だが、最高経営陣は客を避難させようという意見を受け入れなかった。経済的被害とイメージが傷付くことを恐れたからだ。結局、補修工事を決定しながらも、営業は続けた。
午後5時過ぎ、天井からセメントが落ちたり破裂音が聞こえたりして、一部の従業員や客は避難し始めた。
だが、まだ状況を知らない人が多かった。
同5時57分、ついに5階のスラブが崩れ落ちて4階を押しつぶし、その衝撃が下に伝わって4階から地下3階まで垂直崩壊した。地上5階、地下4階建ての建物が崩れるのに10秒しかかからなかった。
◇「ガス爆発と推定される」
当時のニュースでは「ガス爆発と推定される」というコメントも出た。正常に見えた建物が完全に崩れるなどとは想像もできなかったからだ。
最大の原因は安全性を度外視した建築にあった。
資材費用を減らそうと柱を細くし、売り場を広げるため本来あるべき壁が消えた。屋上冷却塔の設置で振動と重さでが加わり、事故の数年前から少しずつ異常が感知されていた。
イ・ジュン会長は業務上過失致傷、賄賂供与罪などで懲役7年6月の刑を受けた。息子のイ・ハンサン社長は懲役7年だった。公務員が形式的に竣工を承認したり使用許可を出したりしたことも明らかになり関係者が処罰された。
この事故は、安全と生命に対する国民の警戒心を劇的に高め、建設、消防防災、医療界などに大きな変化が起きた。
建設業界では天井と柱の間に必ず梁を設けるようになり、大型事故に対応するためのマニュアルが作られた。消防本部が火災鎮圧だけでなく各種安全事故対応まで引き受けるようになり、119救助団が新設されたのもこの事故がきっかけだ。
現在、ソウル良才洞(ヤンジェドン)の良才市民の森には、三豊百貨店崩壊事故の犠牲者の慰霊塔が立っている。
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