
「ケガしたなんて、言いふらすな」。これは韓国で起きたある労災事故当日、病院へ向かう車内で、負傷した溶接工チョン・ナラスさんに雇用先の会社関係者が投げた言葉だ。会社はチョンさんに秘密さえ守ってくれれば「一生責任を負う」と約束した。だが、それも守られなかった。
チョンさんは7月8日に公開されたYouTubeチャンネル「kizzle」とのインタビューで、事故の顛末を語った。
2012年6月12日、石油掘削船ドリルシップの建造に投入されていたチョンさんは工事に没頭していた。頭の高さほどの足場板に乗って溶接をしていたところ、突然ギシギシと音がして足場が崩れ落ちた。
「耳をふさいで溶接をしていたら、足場がガラガラと崩れ落ちた。そして足を失った」
しかし彼にとって、足を失った痛みよりも会社への恨みと怒りの方が大きかったという。
「(事故直後)鉄板の上に横たわったまま50分ほどそうしていた。社内の救急車も来ず、トラックを呼んで(近くの病院へ)向かう途中、警備課の社員らが『けがをしたと言うな』『痛がっている様子を見せるな』と言った」
チョンさんに会社は「労災処理する。ずっと責任を負う」と言っていた。なのに、間もなく廃業届を出した――。
チョンさんは下請け会社の労働者だった。当時、会社側は元請けとの再契約が難しくなるとして労災処理を先延ばしにしたという。チョンさんは後になって労災認定を受けたが、すでに状態は悪化していた。
「労災特例を受けて治療をしている途中、状態が悪すぎて切断が必要だと言われた。最初は足だけでなく臀部の片側まで全部切除しなければならないと言われた。手術後、最初は足があるように感じたが、触ってみると足はなく、導尿管をつけていた」
チョンさんの人生はその日から180度変わった。
片足を失った彼は家では両膝で這って移動し、シャワーも床に座って浴びるしかなかった。就職も困難だった。学校パトロールに応募したが、学校側は「走れるのか」と難色を示した。区役所の清掃アルバイトも不合格だった。
とはいえ家に閉じこもっているわけにもいかなかった。親しい友人の勧めで重量挙げを始め、その魅力にすっかりはまり、現在は障害者重量挙げ選手として活動している。
「再び社会の一員になれたことに大きな幸せを感じている。当時は経済的な理由で始めたが、今は好きで運動をしている」
(c)MONEYTODAY