インスタントラーメンは台湾系日本人の安藤百福(あんどう・ももふく、1910~2007)が開発したというのが定説だ。安藤が1958年に出した「チキンラーメン」は、麺を揚げた後に乾燥させる現代のラーメンと最も似ている。このラーメンを発売した日清食品はその後、日本の有力食品企業に成長した。
韓国で初めて製造されたラーメンは、1963年9月に発売された「三養(サミャン)ラーメン」だ。企業家のチョン・ジュンユン氏が食料不足問題を解決できるとして、当時のパク・チョンヒ(朴正熙)政権に5万ドルを借り、日本の明星食品から製造設備を輸入して生産したのが始まりだ。
日本から技術を導入したラーメンだが、輸出は比較的早かった。1969年、ベトナムに150万ドル分を輸出したのが初めてだ。ベトナム派兵軍人にラーメンほど適切な補給食料がなかったことも影響を及ぼした。ラーメン宗主国の日本にも少量(2万ドル)だが、輸出を始めた。
後発の農心=当時「ロッテ工業」=も1971年から米ロサンゼルス地域に同胞向けのラーメンを輸出。1984年の三養食品に続き、1988年の農心も輸出1000万ドルを超えた。
◇初の海外工場はブラジル
海外にラーメン工場が初めて作られたのは、意外なことにブラジルだ。1972年、同胞が設立・運営していたが、経営難に陥ると、韓国政府が乗り出して三養食品の買収を促した。しかし、43万ドルの投資にもかかわらず経営正常化は難しく、三養食品は3年後、持分を売却し撤退した。
直接建てた初の海外工場は、1984年にロサンゼルスに三養食品が建てた。当時では珍しく、米食品医薬品局(FDA)の承認を受けた。農心は1998年に中国・青島から始まり2002年までに計3つの工場を建設し、中国市場を攻略した。ロシアで容器麺「トシラク」(日本語で「弁当」の意味)を販売して成功を収めた八道は、2002年に現地法人を設立し、工場も建設した。
(つづく)
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