2024 年 12月 22日 (日)
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不法孤児戸籍の乱発 [KWレポート] 国際養子縁組の闇 (2)

キム・ユリさんと弟が1984年にフランスで養子になった際の関連書類(本人提供)(c)news1

「孤児戸籍」が慣行化した理由は、孤児に分類されると両親の同意手続きが省略されるなど、養子縁組手続きが容易になるためだ。当時は養子縁組熟慮期間制度がなく、親のわからなくなった子供の家族を探し出すより、養子縁組を優先的に推進した事例も多数確認された。

◇孤児に分類、養子縁組手続き簡素化

不法孤児戸籍が公然と作られたもう一つの理由は、当時、韓国には国際機関が勧告する最低限の制度もなかったからだ。韓国では子供の出生届を義務付ける法や、親に対する養子縁組熟慮期間の制度がなかった。

その後、孤児の養子縁組要件や手続きなどに対する特例と、支援に必要な事項を規定した養子縁組特例法が2012年に改正された。

改正前は、政府の許可・監督を受ける養子縁組斡旋機関の裁量で、孤児の養子縁組を主導していた。

その時までは、出生届のないシングルマザーの子供の場合は、孤児としての戸籍が作られ、親の同意なしに海外に養子縁組されていた。養子縁組特例法改正前には、両親が行方不明の届け出をした子供も戸籍上は孤児にされ、養子縁組された事例も実際にあった。

さらに、かつては民間養子縁組機関が手数料ほしさに書類を作成して海外養子縁組を推進したのではないかという疑惑も提起されている。1988年に韓国人児童の養子縁組手数料は5000ドルだった。当時の1人当たりの国民所得(4571ドル)よりも高い。

「真実と和解のための過去史整理委員会(真実和解委)」は、海外養子縁組事例計344件の陳情を調べ、養子縁組機関が生みの親が生きている乳幼児を路上で発見された孤児と虚偽記載した事実を確認した。また、子供の身元を偽って養子縁組を推進した状況も把握された。

◇一生捨てられたと思ったのに…

わけもわからないまま海外に養子縁組された後、今は成人した「孤児戸籍」児童たちは、複雑な気持ちを隠せずにいる。

1984年に13歳でフランスに養子縁組されたキム・ユリさん(50代)は「養子縁組後、成人になるまで両親に捨てられたという思いから抜け出せなかった。在米韓国人の友人の助けで実の親に会うことができたが、それも、最初は私から母方の祖母を訪ねたのがきっかけだった」と話した。

そして、次のように明らかにした。

「時間がかなりたってから、養子縁組過程の衝撃的な事実に接することになった。両親は私を養子縁組することにいかなる同意もしたことがなく、養子縁組書類には私が孤児だと明示されていた」

(つづく)

(c)news1

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