2024 年 6月 12日 (水)
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それでも是枝裕和「ベイビー・ブローカー」 (中)

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とはいえ是枝監督の前作をよく知っていて、今回の映画を是枝裕和という監督に注目して期待していた観客には「ベイビー・ブローカー」は残念な映画だと受け止められる可能性が大きい。

「誰も知らない」(2004)、「歩いても歩いても」(2009)、「奇跡」(2011)、「万引き家族」(2018)など、彼の家族映画の傑作に比べれば「ベイビー・ブローカー」は切れ味が悪い。

是枝監督の前作は、家族同士の関係と、家族という集団の実体に対する鋭い洞察、社会の中での家族の意味などに関する話題を投げかける精巧な脚本と演出を見せた。一方の「ベイビー・ブローカー」は、これと似た形で作られながらも、すべてで相対的にもの足りない。

人間に対する暖かい視線と、社会の現実に対する非情なまでに冷徹な視線を交差させる特有の観点はやはり相当なものだが、「ベイビー・ブローカー」ではその焦点がうまく合っていない。

カギはキャラクターの倫理だ。この映画が観客を納得させるためには3人の主人公サンヒョン、ドンス、ソヨンを受け入れることができなければならないが、それが容易ではないというのが「ベイビー・ブローカー」の最大の弱点だ。

家族に捨てられたこの3人の境遇に対する憐憫とは別に、彼らが命をお金に替えており、赤ちゃんをお金で取り引きする人たちだ、ということは明白な事実だ。もちろん是枝監督は2人の刑事を通じて彼らを道徳的に非難したり法的処罰まで受けさせたりすることで、最小限の倫理性を保っている。だが同時に、3人の人間性を繰り返し強調することで、あまりに早く彼らに免罪符を与える。

この部分は、「捨てられた命」という素材を、個人の問題から一歩進んで社会問題に広げるためのものだと思われる。一方で、彼らが手掛ける犯罪行為が、ほとんどの観客の容認できるレベルを越えているという点で説得力に欠ける。

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是枝監督の以前の映画ではほとんど見られなかった作為的な設定や人物関係の劇的な変化、精巧さに欠ける台詞などもある。サンヒョン、ドンス、ソヨン、ウソン、ヘジンが「疑似家族」として関係を結ぶ過程は、一部作為的なところがある。

彼らがお互いの過去と現在の状況などを短時間で受け入れ、理解する姿は唐突だ。そのうえ、一部の台詞は、是枝映画らしくなく、的確でない。特にソヨンが、自身の行為を非難する刑事スジン(ペ・ドゥナ)に向かって抗弁する際の台詞がそうだ。

「赤ちゃんを産む前に殺すのが、赤ちゃんを産んでから捨てるより、罪が軽いのか」

比べられない2つの事例を、取ってつけたように結びつけるのは誤解をもたらす。

もちろんこの台詞はソヨンの自己弁明だと見ることもできるが、これでスジンの言葉が封じられてしまうのはあまり良い演出とは思えない。

是枝監督の映画を、冷静で暖かくはない乾いた映画と、淡白で暖かくて冷静ではない映画に分けられるとすると、「ベイビー・ブローカー」はやはり後者に当たる。

彼の映画の中で傑作と呼ばれる作品は、概して前者に、相対的に凡作と見なされる映画は後者に属すということから、是枝監督のフィルモグラフィでの「ベイビー・ブローカー」の位置を考えることができる。

先に言及したように「ベイビー・ブローカー」は特に冷静ではなく、とりわけ暖かい作品だ。以前の是枝作品ではあまり見られなかった多少感性的な設定と台詞は、彼の映画を長く見守ってきた観客にとって、馴染みが薄く、ややぎこちなく感じられるかもしれない。

しかし、是枝監督の映画を初めて見る観客にとって「ベイビー・ブローカー」は、この巨匠の映画世界にたやすく没入できる作品になりうる。

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